. ページ41
.
しばらくの間学校を休んだ。眠れない夜が続いて、忌引の規定日数を過ぎても定期考査にも追試にも出なかった。
不意に、何気なく、ピアノが弾きたくなった。
特別好きなわけでもなかったのに不思議だ。
けれど家ではどうにも弾きづらかった。俺がピアノに触るのは大抵姉の前でだったから、父と母はきっと俺がその椅子に座るだけでも姉のことを思い出してしまうだろう。
そういえば学校ならピアノがあるな、とそんな邪な考えで復学した。
誰にも何も言われない環境がよくて、使用頻度の低い第三音楽室の鍵を盗んだ。
いつものようにそこに入り浸ってピアノを弾いていた休み時間、突然、扉が開いて指を止める。盗んだ鍵はスペアを作って戻しておいたけれど、それでもバレただろうかとそう考えていたところに、中へ入ってきたのは恐ろしく顔色の悪い女の人だった。ふらふらとよろけながら、壁際に背を預けへたり込む。
「……具合、悪いんですか？」
「すみません…ちょっとだけ…、ここにいさせてくださいすみません……、続けて…」
立ち上がり、一応そばへ行って声をかけたけれど、女の人は体操座りの膝に顔を埋めたままいかにも限界そうな声で返した。多分、確かに具合は悪いのだと思う。相当追い詰められた様子で、普通じゃない。
「綺麗な音なので、続けてください……」
変な人だなと思った。
確か新任の教師だったと思い出す。何かあったんだろうか。学校の先生なんてみんな初めっから”教師”という生き物に見えるけれど、仕事に慣れないうちは色々と大変なこともあるのかもしれない。
言われるがままにピアノへ戻って再び鍵盤に触れた。
ドビュッシーのベルガマスク組曲。月の光。
姉が好きだった。
弾きながら、頭の中を占めるのは姉のことだ。
楽しかった日々と姉の笑顔。
優しい声。
柔らかく、温かな言葉。
思い返して、それから湧き上がるのは寂しさと悲しみと後悔と、自責の念と、それから、
その人の存在をすっかり忘れていた。弾き終えて、ふと見れば小さく寝息を立てている。
本当におかしな人だなと思い再び近づいてみた。けれど。
寝顔が、その寝顔がとても安らかなもので。
さっきまで死にそうな顔をしてたのが嘘みたいに思えるほどに、心地よさそうで。
姉さんみたいだなと思った。
姉さんのためにピアノを弾いてあげた時みたいだな、と。
.
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 1909人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
よぴ(プロフ) - パスワード教えていただきたいです（ ; ; ） (2022年1月17日 19時) (
レス) id: 5c59f9ee59 (このIDを非表示/違反報告)
いち - パスワード教えてください⁉️ (2021年9月28日 13時) (レス) id: 358f9d64ec (このIDを非表示/違反報告)
さな(プロフ) - こむぎさんの作品いつも楽しく読ませていただいています。この作品を最初から読みたいのですがパスワードを教えていただくことはできますか？ (2021年5月5日 2時) (レス) id: 3b72a96203 (このIDを非表示/違反報告)
りの(プロフ) - どの作品も大好きです！いつもキュンキュンしながら読ませて頂いています。これからも楽しみにしています。 (2020年5月3日 21時) (レス) id: e6fd1d12b5 (このIDを非表示/違反報告)
陽依(プロフ) - 切なくて切なくて、涙が出てきました。このお話大好きです。これからも楽しみにしています。 (2020年5月3日 19時) (レス) id: 5f72745e3d (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：こむぎ
| 作成日時：2019年7月21日 14時
