指導医はオペ室の悪魔4【ブラックペアン】

第175話：あほ ページ30

この世は地獄か何かなんだろう。いや、どこかの人が修羅とはこの世だと言っていた。
なら、この状況も納得できる。


「…神出鬼没ですね……渡海先生…」


噂をすればなんとやら。
彼女の真後ろには怪しい何かを見るような目をした渡海が腕を組んで立っていた。


「何やってんの」
「……何にもしてません」
「だろうな」
「器具を片付けにいく途中ではありますけども」
「傍から見たらただの奇人だぞ」


知っとるわ。だから誰も居ないはずの廊下で奇行に走ったんじゃないか。
まさかよりにもよってあんたが通るなんて一番思わなかったよ。

そもそも。


「……誰のせいだと」


そうぽつりと呟いた。

…ああ、もう。これ以上彼に付き合ってる暇などない。
医療問題ならまだしも、こんなことで翻弄されてる自分が情けなくて仕方がない。

本日何度目かの溜息をつきながらAは壁から放れ、渡海の横を通り過ぎようとしていく。


「俺のせい？」


そう囁いた悪魔の手が、教え子の二の腕を掴む。

立ち止まり、Aは渡海を見上げた。不気味なほどの無表情である。
お前以外に誰がいるんだよ。


「………、そりゃ、先生のせいですよ」
「へぇ。じゃあ、俺のことずっと考えてたわけ。無人の廊下であほ、って呟くぐらい。」


「……………えと、」


これは。


「あの真面目なAちゃんが、俺のこと考えて集中が切れてるわけ」


もしかして、墓穴、堀ったんじゃ、ないか。


「どうなの」


もう誰が耳にしても悦を含んだと判断できるその声に、頭の奥がじくじくと焦げていく。
案の定、悪魔は目を細め、口の端を釣り上げてこちらを見ている。


「…………誰だって、あれはびっくり、するんだから……当然でしょう…」


Aは俯き、震えた声でそう言った。



―――泣いているわけではないらしいが、あんまりいじめれば後が怖い。

耳までもが真っ赤になっている彼女の有様が見れただけでも良しとしよう。

渡海は満足気な顔をして二の腕を掴む力を少し緩める。そうして彼女の耳元に顔を近づけて告げた。


「夜。21時に仮眠室」



するりと彼の大きな手がAの腕から離れていく。
彼女ははっとして渡海が去っていった方向へ足を一歩踏み出しかけ、我に返って止まった。


「…………あ、の…悪魔ぁ……」


今度こそ一人きりになった廊下に、かすかな悲鳴が掻き消えた。

その後、世良はやたら本日は機嫌がいい渡海を見ることになる。

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