44.あの時は ページ14
次の日は、休みだったけど。
家にいるとうじうじ落ち込みそうな気がしたから、車を走らせて大野くんのパン屋さんに向かった。
ドアを開けると、焼きたてのパンのいい香り。
大野くんがひょこっと奥から出て来る。
「いらっしゃーい…ってAちゃん」
「奥さん、体調どう？」
「うん、つわりもおさまってきたみたいで元気そうだよ。
来月からまた働くって言ってる」
「ちょっとお店手伝ってもいい？」
「え？なんで？今お客さん少ないし、いいよ？」
「動いていたい気分なの」
「……じゃあ頼もかな」
お客さんが来ると、この間みたいに大野くんがレジで私が袋に詰めて行く。
緑に囲まれたお店で、美味しそうなパンのにおいに包まれて。
嬉しそうにパンを買って行くお客さんを見ていると、自然と笑みがこぼれる。
気づくとお昼のピークを過ぎて、時計は14時を指していた。
「休憩しよ。好きなパン食っていーよ」
大野くんが奥でまた「スペシャルウルトラんまいコーヒー」を入れてくれている。
私はホットドッグとミニクロワッサンをトレイにのせて行った。
「あれえ？今日卵サンドは？」
「今日は…いいの」
大野くんが丁寧に入れてくれたコーヒーは、ブラックで飲んでもちっとも苦くない。
「仕事大変？」
「そうだね、だいぶ慣れてきたかも」
「ムチふるう上司は元気？」
「…うん」
大野くんはカレーパンを食べている。
「大野くん、私ね。
卵サンドが特別好きな訳じゃなかったんだよ」
「へ？」
「卵サンド食べてたら、大野くんが『まーた卵サンドかよ』って笑うから」
大野くんが目をぱちぱち。
「卵サンドじゃなくて、大野くんが好きだったんだよ」
大野くんがカレーパンを食べるのをやめて、ぽかんとしている。
「どうしてあの時言えなかったのかな」
あの時は、勇気さえ出せば言えたのに。
好きな人に「好きです」って言えたのに。
「Aちゃん、なんで泣いてんの？」
そう言われて、自分が泣いてることに初めて気づいた。
今は言いたいのに言えない。
松本さんが背を向けて行ってしまっても、追いかけることもできない。
「今でも言ってくれて嬉しいよ。
おれは奥さん一筋だけど」
「知ってる…」
優しい声で大野くんが言う。
「大丈夫、大丈夫」
「…何が？」
「わかんねえけど。Aちゃんは大丈夫だよ」
何の根拠もないのに。
胸につかえていたものが少し軽くなった。
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作者名：つむ
| 作者ホームページ：
作成日時：2015年3月22日 18時
