4 ページ35
.
｢分かってる。私、売られちゃうんでしょ？下見に来てたから。…変な男の人だった。｣
｢………逃げようや。こんな小さな箱にいても自由も何もない。｣
｢逃げられないよ。分かってるでしょ？ゾムが幾ら試してもその鉄格子もこの足枷も壊れなかった。｣
｢絶対何とかする。やから。やから、｣
手を伸ばせど伸ばせど男の手は空を切る。いつもの距離感はそこに無かった。そこには温もりも、幸せも、2人の世界も存在しなかった。いや正確には元より存在していなかったのだ。それに縋っていたのだ。そうある事実を刷り込むことこそが、今の男と女にとっての幸せだと、最善だと、そう信じて疑わなかったのだ。
必死にたどたどしい口調で言葉を繋げていく男を他所に女はようやく男の伸ばした手に触れる。何の皮肉か、足元の枷がかしゃんと音を立てた。それは恐らく決断の合図にも近い。豊かな象徴である翡翠とこの季節に似合う冷えた水色の瞳がかち合う。
｢駄目。行けないよ。｣
｢な、んで…なぁ、お前が何より求めてたやん。教えたいって、それが将来の夢やって、俺と一緒に教えるって約束したやん。なぁ！Aまで嘘つくん？あの、アイツと同じように！｣
｢一緒に教えようって言っただけでゾムと約束はしてない。｣
｢なんで、なんでなん？なんでそんなこと…｣
狼狽える男を落ち着けるように女は何度も冷えきったその手に温度を送る。もう既に痩せて小さくなった掌に十分な温度は集まらなかったが、それでも優しさはそこに存在していた。
｢ゾム。私のお願い事、聞いてくれる？｣
｢…嫌や。｣
｢もう拗ねないでよ。｣
｢で、願い事ってのは？｣
｢……私をね、殺して欲しいの。｣
｢は？｣
｢あんな人のところに行くなら死んだ方がマシ。なら、私ゾムに殺されたい。｣
｢アホちゃう？人殺しにしたいんか？｣
｢そういう訳じゃないよ。でも、こんなお願い事ができるのゾムしかいない。｣
｢絶対嫌や。｣
｢じゃあこのまま私変な人のところに行ってもいいの？｣
｢それもあかん。｣
｢なら方法はこれしかないの。ねえ、目覚ましてよ。これが現実なんだって。｣
何処まで本気なのか分からない。けれども嘘で言っていないのは分かる。頭を思い切り殴られたような感覚。今までいた微睡みの中から強制的に目を覚まされたかのようにも思える。
そうしてふと気付けば、男は自分には大き過ぎるサバイバルナイフを手に女と対峙していた。
.
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 27人がお気に入り
お気に入り作者に追加
この作品を見ている人にオススメ
この作品を含むプレイリスト 
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
