【wrwrd】「 ─────── 」【企画前編】 (ページ28)

今日:18 hit、昨日:5 hit、合計:13,861 hit

2 ページ28

.
　こくりと小さく唾を飲む。ふるりと喉が震える感覚がやけにハッキリと残って、いやに鼓動が速くなる。
　ああ！かの英雄ならこんな時どうしただろうか！
　渇いた唇をそっと一舐めして口を開く。

「あの、兄さん……先輩」

　いつまで経っても座らない私に疑問を抱いていたのだろう。兄さんは私に言葉の続きを促すように、「ん？」と優しく問いかけた。
　うなじの辺りでポニーテールが揺れる。メガネの奥の静かな双眸に雁字搦めにされてしまいそうだ。
　少しの沈黙。

「私、先輩のことが」

　好きです。

　喉元でつっかえていた言葉は、案外すんなり口に出来た。

　数秒の間の後に、バサリ、と先輩が本を落とす音が聞こえた。気にしていなかった野球部のランニングの掛け声が、遠くで響く下手な流行りのラブソングが、沈黙を埋めるように一気に寂れた教室中に満ちていく。

　ほんの十数秒が、人生三週分の時間のように思えた。先輩は本を拾い直して埃を軽く払うと、それで顔を隠すようにして話し始める。

「俺も、あかんわ……」
「な、にが……ですか……」

　……もしかして彼女がいたとか？いやいや、顔は良くても変人の先輩に彼女なんて！ ……もしかして私は好みじゃないとか？そもそも私のことなんて、熱心な部活の後輩くらいのノリだったとか！

　ぐるぐると脳内を駆け巡る私の思考を断ち切るように、先輩は錆びついたパイプ椅子をひいて席を立った。椅子が床に擦れる音が鼓膜を揺らす。

　気配が近づく。気のせいじゃない。

　ふわり、と先輩の匂いがした。柔軟剤と、埃と、ほんの少しの汗と、煙の香り。
　耳元に寄せられる先輩の顔。囁かれた言葉。

　________絶対にお前だけはない、って思ってたんやけどな

　好きだよ、お前のことが。

　夕陽は、いつのまにか濃い紫に飲み込まれていた。
　それなのに、目の前の先輩の顔は沈みかけの夕陽のように赤い。
　いや、きっと私の顔だって大差ない。私を真っ直ぐに見つめる熱っぽい視線にぼうっとしてしまう。

　特別教室棟三階南端、歴史研究部部室。
　きっと、今日ここで小さな恋が叶ったことも、いつかは廃れて歴史になるんだろう。
　その時、彼はこの歴史を愛してくれるだろうか。
　かの国の政治家のように、ある国の王のように、いつかの時代の、国民の一生のように。
　その時まで一緒にいたい、だなんて学生らしい希望を抱きながら、私は先輩に包まれていた。

　私と彼は、今からいわゆる恋人同士だ。