お菓子を作ることが好きな少女はバターの味を知らない

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　言われれば言われるほど、思い出してしまう。
　あの、痛々しい傷が、元カノのことだけじゃなくて、津波のこと、父のこと、母と妹のこと、家のこと、酪農のこと、自分のことしか頭にないあの時の記憶が、脈を打って流れていく。

　それは鮮明に、艶やかに、一つの生き物みたいに。


　例え桃花ちゃんに揺さぶられても、商人さんに占いめいたことを言われても、僕は何も答えないことを選んだ。


　……傷つけて傷つくぐらいなら、触れないべきだ。怖いのなら、気持ちを抑えるべきだ。
　だというのに僕は、彼女の動揺に、動揺してしまった。


「ご、ごめんなさい！ 急なことだったから、つい、ビックリして手を滑らせて……」


　小さな体をかがませて、細い指で皿の破片を取ろうとする。
　その時、ツウ、と白い肌に、鮮烈な赤が滲んだ。
　痛、という声が、小さく漏れる。

　視界が真っ赤になった。


「……Aさん？」
「素手で持つのは危ないよ。新聞紙か何かで包んで、細かい破片は箒で掃こう」
「あ、そ、そうでした！ 気が動転して……すぐ取りに行きます！」


　慌ただしくそうびちゃんは僕の視界から消えた。
　すると少しずつ、視界から赤が抜けていく。それと同じように、何だか息がしやすくなった。
　長い溜息をつく。安堵から来るため息だ。

　このままこの家に居たら、いけない。きっと、望まないことになってしまう。

　僕は、堪え性のない人間だ。我慢なんてほど遠いところにあって、その癖融通が利かない。
　どうして、高校生のあの子は、僕を好きだと言ってくれたのか。好きと言わなければ、あんな悲しい想いはしなかっただろうに。

　こんな自分でも、そうびちゃんは居なくなることに対して、動転してくれた。
　それはとても怖くて、……どうしようもなく嬉しい。期待してみたくなる。


　だけど、きっと、開けてはならない箱はあるのだ。
　もう既に、僕は開けているのかもしれないけれど、今すぐこの家を離れればきっと、まだ間に合う。
　元々、別世界の人間同士だ。この家を離れて、もうこの家を訪れなければ、時が流れれば、夢の出来事だと思えることが出来る。

　……ここまで考えて、どうして僕はこうまで臆病なんだろうと思う。
　よくよく考えればそうびちゃんを怖がる要素なんて、本当は存在していないのに、自分で作り上げてしまう。どうしてそんな癖がついてしまったのか。きっと過去の自分の過ちだと判っているようで、判っていない。

・→←その箱を開けてはいけない

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