アヤメのハンカチ 4【煉獄杏寿郎】

170.俺の好きな笑顔 ページ20

　桶の水に浸した手ぬぐいをきつく絞る。

　ぽたぽたと滴る水音にさえ、彼女は気が付かない。


　俺は小さな声で語りかけるようにAに話しかけた。


「A、千寿郎から聞いた。

　ここのところ週に6日刺繍工場に行っていたそうだな。

　君は頑張り屋さんだからな。

　…しかし、身体だけは大切にして欲しい。」


　彼女の頬に手を添えて見つめると、

　安心したかのように彼女の口の端がほんの少し上がった。


　規則的な寝息が聞こえてきてほっと胸を撫で下ろすと、

　部屋の壁にもたれかかり、千寿郎がにぎってくれた

　おにぎりを口にした。


　ちょうど良い塩加減でとてもおいしい。


　おにぎりを食べ終えると、

　雨に濡れた身体を温めようと湯船に浸かった。
　

　指先がじんじんとする。


　秋も深まり、ひと雨ごとに気温も下がっていく。

　思っていたよりも身体は冷えていたらしい。


「ふう…」


　瞼を閉じると、Aの顔が浮かぶ。


　困ったように笑う顔。

　泣きながら笑う顔。

　恥ずかしそうに笑う顔。

　嬉しそうに笑う顔。




　"誰か"に愛おしそうに微笑みかける顔…




　バシャっと湯船をすくって顔を洗った。



　望んでいることなのに、どうしてこうも胸が痛む。

　こういうものは時間が解決してくれるのだろう。

　きっと。




　湯浴みを終えると

　Aの様子を見に彼女の部屋へと足を運んだ。



　静かに襖を開けると、寝返りを打ったためか

　Aの額に乗せていた手ぬぐいが褥に落ちていた。


　
　手ぬぐいを拾い、再び桶の水に浸けると、

　彼女の身体の向きを変えて額に冷たい手ぬぐいを置いた。



「早く良くなってくれ…愛している。」



　Aには届かないよう、木の葉を遊ぶ秋風にさらわれて

　かき消されそうな声で呟いた。



　自室へ戻ろうとも考えたが、彼女の体調が心配だったので

　目を覚ますまではここへいようと壁にもたれかかった。


　
　行燈の灯りを消すと、うとうとと瞼が重くなってきて
　
　いつの間にか眠りに落ちてしまった。

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