「暗転」 ページ1
「ねえちゃん遅いー!おいてくぞお!」
こちらを向いて私を急かす弟に「はいはい」と返すと、聞いていないであろうあの子はご機嫌にスキップしながら更に先を進んでいく。ぶんぶんと振り回す右手には、ついさっき買ってあげたおもちゃに付録でついていたカードがしっかりと握られていた。サッカーボールを持つ笑顔の少年が描かれている。小走りで追いかけたい気持ちもあるけど、両手にのしかかる買い物袋の重みがストップをかける。
「(明日が入学式なのに、緊張とかしないのかなあ)」
8つ離れた私の弟は、明日からピカピカのランドセルを背負って学校へ通うのだ。ちょっと前までハイハイをしていたような気さえするほど、子供の成長はあっという間である。前を行く小さな背中をしみじみしながら見つめていると、視界の端に自動車が見えた。
「ほら、車来たよ。内側においで」
「…はーい」
せっかくアグレッシブビートやってたのに、と不満げに呟きながら、歩道の内側に回ったのを見て安堵する。日々成長しているとはいえ、危なっかしくて目が離せないのは赤ちゃんの頃と同じなのだ。早く帰って夕ごはん作らなきゃ。視界を前に戻すと、先ほどより近くなった自動車に激しい違和感を覚えた。
おかしい。全然スピードを緩めない。それどころかどんどん加速してる。
「ねえちゃん。あの車、へん、」
「うん、危ないね」
もっと端よって、その一言が出てこない。おかしい。スピードはさらに加速している。歩道から反対の車線を走っているのに、こっちに向かってくる。車はとてつもない速さで向かってくるのに、私の体は動かない。車は加速し、どんどん近づいてくる。はやい、だめだまにあわない、このこを守らなきゃ。私はこの子を守らなきゃ、
ぐんと宙にうく身体に脳みそが遅れる。
ああ撥ねられたのか、地面に落ちるまでの映像が、スローモーションみたいにゆっくりだった。
「(からだ、さむい)」
目が開けられない。同時に口の中いっぱいに鉄の味が広がって、自分が血を大量に流していることに気づいた。体が重い。なんとか起き上がろうと片手に力を込めると、何かあたたかいものに触れているのを感じた。ゆっくりと目を開けると、ついさっきまで元気に前を歩いていた、私の弟だったものの、小さな手のひらだった。
守れなかったんだ。駄目だったんだ。彼の手に、そっと自分の手を重ねる。彼の体温が失われていくのを、何もできずに感じていた。
3人がお気に入り
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名:飯 | 作成日時:2021年9月2日 22時