恋は盲目、愛は執着【青の祓魔師】 (ページ1)

今日:2 hit、昨日:8 hit、合計:134,841 hit

第0話止まる秒針ページ1

-

歴史に語られていないがメフィストはファウスト博士より前に契約した者がいた。
それは人間の女だった。

“時計って素敵よね”

〝時計〟という物が発明されてから、それが女の口癖になった。
満ち足りる、ということを知らない、静かだが、どこまでも知ることに対して貪欲な女だった。

“ねぇ、もっと知りたいわ”

人間という分を越え、尚も求めるその浅ましさが心地良かった。
これほどの欲を溜めこんだ人間の魂は、さぞ甘美なことであろう。
いずれ来る収穫の時を想うだけで、サマエルの胸は否が応にも高鳴った。

女に与えた以上の愉悦をこの手に。

メフィストはその至高の瞬間を迎えるために、人間の女に侍り、永い時を過ごしてきた。

なのに。

幾度も夢に見た果てるような高揚感も、噎せ返るような甘美な香りも、
メフィストの内からは湧き上がってこなかった。

契約事項に"死後、魂を渡す"という内容を入れなかった。

自身を呼び出せる程に優秀な女が現れた事にばかり興味を持った
自らの落ち度であると納得することが出来たからだ。
メフィストは骸の傍らに膝をつき、女の死に顔を覗き込んだ。

まるで眠っているかのような、
今にも微笑んでくれるのではと思うような穏やかな顔で、女は死んだ。
自らの欲を満たすことばかりを願っていた女が、最後に口にした言葉がメフィストの心を縛る。

“私はまた生まれ変わるわ。そうね、次に貴方と契約した相手の娘…なんてどうかしら”

「……愚かな。所詮は貴女も人間だったということか」

それは、怒りとも哀しみともつかない寂しい響きを持っていた。
メフィストは立ち上がり、マントを払って踵を返す。

女の胸は、時計の針のようなもので貫かれている。
そこからワインのように流れ出ている赤い血は、甘い匂いがする。

目の前にある地に崩れ落ちた女の身体はそれきり二度と動かなかった。
女の血が、メフィストの鼻腔をくすぐった。

「……こんなものに、夢を見るとは」

メフィストは呟いて、煙とともにその場から掻き消えた。
　

――──それから数百年、メフィストの心は未だ女の呪いの言葉に縛られたままでいた。