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放課後の教室で、翌日の試験科目である日本史の教科書を読んで一時間ほど潰した。四時少し前に職員玄関へ行くと、その人はすでに来ていた。茶色のジャケットを着て、大きな鞄を提げ、職員玄関のガラス戸の向こうに背筋を伸ばして立っていた。

「空調の方ですか」

 内側から戸を開けながら僕は聞いた。

「江藤楽器の板鳥(いたどり)です」

 楽器? では、この年配の男性は僕が迎えるはずの客ではないのかもしれない。担任に名前を聞いておけばよかった。

「窪田先生から、今日は会議が入ったとお聞きしています。ピアノさえあればかまいませんから」

 その人はそう言った。窪田というのは僕に来客を案内するよう言いつけた担任だった。

「体育館にお連れするよう言づかっているのですが」

 来客用の茶色いスリッパを出しながら聞くと、

「ええ、今日は体育館のピアノを」
 ピアノを、どうするのだろう。そう思わなくもなかったけれど、それ以上のことに特に興味はなかった。

「こちらです」

 先に立って歩き出すと、その人はすぐ後ろをついてきた。鞄が重そうだった。ピアノの前まで連れていったら、それで帰るつもりだった。

その人は、ピアノの前に立つと四角い鞄を床に置き、僕に会釈をした。
これでもういいです、ということだと思った。
僕も会釈をし、きびすを返した。いつもならバスケ部やバレー部で騒がしい体育館が静かだった。
高い窓から夕方の陽が差し込んでいた。
 体育館からつながる廊下に出ようとしたとき、後ろでピアノの音がした。

ピアノだ、とわかったのはふりむいてそれを見たからだ。
そうでなければ、楽器の音だとは思わなかっただろう。楽器の音というより、何かもっと具体的な形のあるものの立てる音のような、ひどく懐かしい何かを表すもののような、正体はわからないけれども、何かとてもいいもの。それが聞こえた気がしたのだ。

 その人はふりむいた僕にかまわず、ピアノを鳴らし続けた。弾いているのではなく、いくつかの音を点検するみたいに鳴らしているのだった。僕はしばらくその場に立っていて、それからピアノのほうへ戻った。





羊と鋼の森 宮下奈都 著 より

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作者名:Canchi x他1人 | 作者ホームページ:http://uranai.nosv.org/u.php/novel/csshaihuya/  
作成日時:2022年7月9日 20時

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