白い祈り (ページ19)

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徐に外したマスクから現れたニヤリと歪む口許を見て、俺は震え上がった。

壁を背にした俺は万事休すか？

ドンっと、俺の顔の両横に手を付いて彼は楽しそうに囁いてくる。

『僕を助けてくれるよね？周芳野くんなら、僕がどんな人間か…顔を読んでくれるだろ？？』

…………冗談じゃない。
今、助けてほしいのは俺だ。

この人を認識したのは２ヶ月前の食事会のことだった。

コロナ禍から少しずつ世界は元の賑わいを取り戻そうとしている。人の往来や経済を立て直す為に様々な制限が緩和され始めた頃だ。
こんな大変な時だからこそ開設を急いだ病院だったが、コロナ禍故にこちらも多忙ですぐに応援に駆け付けられなかった為、てんてこまいだったという。
とにかく体力のある医師を…という要望で俺を含め何人かが赴任した時には、既に新病院の開設メンバーはかなり疲弊していた。

俺も業務が始まって１ヶ月は、想像以上の患者数や新しい施設と新型機器に慣れる為に必死で、訳が分からない内に過ぎた。前から知った顔以外の医師や看護師の名前を覚える暇はなく、必ず名札を確認していたほどだ。

ようやく《4人以上で会食をしても良い》というお触れが出たところで、北山先生が慰労と歓迎を兼ねた循環器内科の親睦会を開いた夜のこと。

『……周芳野くんは《患者の顔を読む天才》なんだって？』

『はぁ？！』

駅前の居酒屋の座敷でいつの間にか隣に座っていた鹿島先生は、開口一番そう言った。

新病院に直接採用した医師だが、彼は普段から何でも卒なくこなす一匹狼だと後から聞いた。
ミーティングには参加するが彼からの治療方針などの相談は一切なく、淡々とセオリー通りの診療をするという。

銀縁眼鏡の奥の目は、全く酔っていない。
あまり酒が飲めない俺も素面だったから、仕方なく真面目に答える。

『顔を読むなんて…患者さんの言葉をメモするのが癖なだけです。』

『研修医時代には言動が謎だらけだった女優の相原さんの秘密を解いたんだろう？？どうやって？』

……その名前にほろ苦い記憶がまた甦った。

突発性拡張型心筋症で心臓移植を希望していた若い女性だ。
既に補助人工心臓装置に繋がれた状態で循環器内科の特別病棟に入った彼女は女優。亡くなる間際までも見事な演技をしてみせたことには今でも舌を巻く。

患者の死が痛みを伴う記憶になったのはこれが初めてだった。

そして、彼女との約束や命を懸けた愛情が俺に循環器内科を選ばせた大きな要因になったのだ。