第七滑走 交わる視線 ページ10
「…ごちそうさま」
暫くして僕はそう言って立ち上がった。
「え?もういいの?」
「うん、お腹いっぱいでさ。
もし寛子さんが心配したら“美味しかった”って伝えといて」
まだ4分の1も残っているカツ丼。
しかしそれ以上食べる気にはならない。
味もとても美味しいし、多分カツ丼の中で日本で1番だと思うくらいのクオリティーだけれど、あいにく僕はご飯を沢山食べれない体質なのだ。
だから大抵全部食べきれずに残してしまう。
しかも今はなるべく早くこの場を去りたかった。
「んじゃ、僕先に失礼するね」
そう言って、軽く手を挙げて立ち去ろうとする。
…先程からヴィクトルは何も言わない。
そんな彼の様子も気になるが、あんな事を言い放って面と向かって話せるわけもなく結局視線すら合わせていない。
でもこれでいいんだ。
普段通りに…普段通りに…
何をこんなにも頑張っているのか僕自身よくわからなかったけれど、とにかく早く逃げたかった。
けれど、そんな決心もすぐに崩れ落ちるものだ。
僕が部屋から出ようと踵を返した瞬間、パシッという音と共に僕の腕が掴まれる。
「へ?」
僕の口からは間抜けな声。
いくら己を繕っていても不意打ちには敵わない。
自分から出たその声が余りにも緊張感のないものだったから、思わず口を手で塞いで俯く。
でもそれがいけなかった。
俯いた目線の先に、僕を見つめる澄んだ瞳。
バチりと目があってしまった。
まるでまっすぐ僕を見つめるその目に吸い込まれてしまいそうで、僕は反射的に顔を反らせる。
しかしそれすらも許されないのか、僕の顎に彼のスラリと細い手が添えられて、顔をクイッと強制的にこちらに向かせる。
また視線が交じり合う。
「っ…!」
いくら男の僕でもドキッとしてしまう様なその無駄のない動きと触れている手が恥ずかしくて顔を赤らめる。
「…なんで目逸らすの?」
ワントーン低いその声で問いかけられれば、もう彼から逃げる道は無かった。
不機嫌そうに美しい顔を歪める彼。
それすらも綺麗だと感じてしまう僕はもうどうにかしている。
掴まれている腕から彼の熱が伝わってくるようで、彼から触れられているということが嘘のようで、僕の心臓はもうどうにかなりそうだった。
苦しいくて彼に触れられたくないと思う反面、もっと、ずっと、触れていてほしいと願う自分がいる。
もしかしたら…彼が僕を変えてくれるんじゃないかなんて、そんなくだらない希望まで感じてしまうようだ。
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作者名:樹乃 | 作成日時:2016年11月5日 23時