第十七滑走 時が経つのは早くて ページ20
〜Aside〜
ヴィクトルが来たあの日からあっという間に時は経った。
季節は徐々に春に向かっている。
あれからというもののヴィクトルは、勇利のコーチになることを大々的に発表した。
それはスポーツ界を揺るがす大きなニュースとなり、こんな場所にも連日沢山のメディアが押し寄せてくる。
僕は…まぁ、いつも通りふらふらして過ごしていたから関係ないけれど、寛子さんや真理さん含めたここの従業員達はバタバタととても忙しそうだった。
流石に自分だけ何もしないのは申し訳ないと思い、なにか手伝うことはないか寛子さんに尋ねてみたりもしたが『心配しないで』とやんわりお断りされてしまった。
ずっと引きこもってばかりいてろくに働けないのも自覚していたつもりだったが、こんな時でも僕は何も出来ないのかと思うと自分の無力さに呆れた。
…結局僕は皆のお荷物にしかならないか。
僕はポケットから煙草を取り出す。
「…残り1本しかないじゃん」
仕方ない、散歩がてら新しいの買いに行くか。
ふぅーと煙を吐き出しそんな事を考えながら僕はゆ〜とぴあを出る。
頬に微風が当たる。
この前はあんなにも雪が積もって寒かったのに、今では早くも春の暖かさが感じられる。
…時が経つのは早いな。
…字面だけ見るとお爺さんのようだ。
一歩踏み出す事にザリっ…ザリと靴底が擦れる音がする。
車のエンジンの音に混じって何処かで鳥の鳴き声がする。
塩の匂いと磯の香りに海を感じる。
子供たちが笑い合う声がする。
…この町は本当に美しい所だ。
まるで自分の故郷のように、何気ない音が、香りが、僕の心を落ち着かせる。
「おはよう」
「あ、おはようございますっ…」
不意に、全く知らないおばさんから声をかけられた。
この町の人々はとてもフレンドリーで、外を歩いているとこうして挨拶してくれる時も少なくない。
生憎、僕は人付き合いというものが苦手で、今もちゃんと笑って挨拶を返せていたかどうかはわからない。
けれどそのおばさんはそんな僕を見てニコッと笑って「最近あったかくなってきたねぇ」と会話を続ける。
「そうですね」
なんてマニュアルに乗っ取ったやり取りしかできないのがもどかしい。
その後も、彼女は「最近人多くなったよね」「あっという間に雪も溶けて」と、世間話をしてくれる。
僕はどの会話に対しても「ですね」「確かに」とコミュ障丸出しだが、ゆ〜とぴあ以外の人と話すのは久々で、なんだか不思議と心が落ち着いた。
410人がお気に入り
この作品を見ている人にオススメ
「男主」関連の作品
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名:樹乃 | 作成日時:2016年11月5日 23時