侵食 ページ40
.
――――気づいている。
なにかを書くたび、生みだすたび、すなわち息をしている限り、わたしの精神世界は確実にすり減っていっている。
なにかに侵食されるみたいに。
すこしずつ、すこしずつ、抱えきれないほど痛くて強大な何かが、じっとりと広がって染みていくのだ。
わたしの目や膜や、骨や、脳みその内側に。
【ごめん、やっぱり帰るね】
遅くなると妹に伝えていたのだが、それを取りやめて新たなメッセージを送り直した。
こんなことははじめてだから、麻結はびっくりするだろうか。
お姉ちゃんどうしたの、大丈夫なの――――そう言ってはわたしの身体を触り、傷がないかくまなく探しまわるかもしれない。
何もないことに気づけば、うれしそうに微笑んで抱きついてくるかもしれない。
よかったと、心から安堵の息を吐きながら。
「美味かったなあ」
斜め前を歩く彼は、どこか機嫌がいいように見える。
こじんまりとした小料理屋は――――路地裏にある個人経営の店で、彼の行きつけらしい――――とても美味しく、人目も気にせずゆっくりできた。
どことなく、雰囲気がバーに似ていた。
その空間では、だれもがそれぞれに流れる時間を嗜んでいるように思えたのだ。
「Aは家で料理とかするん？」
「しない」
「やと思った。そういうとこハマってるけど」
「…………」
「自分、ほんまおもしろいわあ」
車に戻ってくると、わたしはまた、景色を眺めてすっかり黙りこむ。
すこし眠かった。
たまに何かを話す彼の声とほんのりと荒い運転に、ゆりかごのような心地よさを感じていた。
車はうちの駐車場に停まる。
夜の住宅街はしずかで、エンジンを切ってしまえば沈黙だけが街を覆った。
A、と、彼に呼ばれた。
わたしはドアに掛けていた手を止め、彼のほうを見た。
「…………」
ぼんやりと、マンションの外廊下の灯りに照らされるその顔は影の造形が美しい。
何か言いたげな表情だった。
こちらをまっすぐに見つめるそのひとみが一瞬揺れ、しかし開きかけた唇は、言葉を紡ぐことなく閉ざされていく。
「おやすみ」
またな、と――――笑んだ彼がはかなくて、わたしは何も言えずに車を降りた。
「……送ってくれてありがとう」
告げると、彼はやわらかく右手を上げて応えてくれる。
すこしだけ手を振り返せば、うれしそうに目尻にしわを寄せる姿が暗がりに浮かんだ。
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 702人がお気に入り
お気に入り作者に追加
この作品を見ている人にオススメ
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
べに(プロフ) - 516516516tさん» こちらのほうも…！本当にありがとうございます(T T)双子とはまったくテイストが違いますが、これからもよろしくお願いいたします！ (2018年9月28日 0時) (
レス) id: c68c31e30a (このIDを非表示/違反報告)
516516516t(プロフ) - 双子と共にこちらも読んでいます！ (2018年9月26日 21時) (レス) id: 06c5e90194 (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：べに
| 作成日時：2018年9月11日 21時
