勝負 ページ18
伊野尾先生サイド
久しぶりに、風が吹いていて涼しい日だった。
回診を終えた俺は、ひとり、屋上に来ていた。
庭に植えてある木々がさざめく。
目を閉じたら、頬に当たった風がより涼しく感じられる。
ひときわ強い風が吹いて、白衣がふわっとなびいた。
心地がいい。
最近は、暑さのせいでくたくたになっていたのに。
地平線のあたりの、ずっと遠くを眺めていると、後ろでカチャッと音がした。
そのあとにキィーと扉が開く音と、「ここにいたのか」という聞き慣れた声が聞こえた。
伊野尾先生「大ちゃん……何しに来たの？」
有岡先生「別に、なんとなく伊野ちゃんと話したくなっただけ」
大ちゃんが、俺の隣まで歩いてきた。
その横顔に、少しだけ疲れが滲んでいるように見えた。
伊野尾先生「なんとなくって訳じゃなさそうだね。どうしたの？」
有岡先生「……涼介のこと、聞いておきたかったんだよ」
伊野尾先生「なるほどね。涼介、もうすぐで移植だからな」
涼介は、あと少しの放射線と抗がん剤で骨髄破壊的前処置が終わり、移植を行うことができる状態になる。
ドナーとの交渉も上手く進み、最終同意もしてもらった。
今のところ、全てが順調だった。
物事が、上手くいきすぎている。
だから、怖かった。
不幸なことが起きてしまうのではないか、と。
有岡先生「最近、なんか、変なんだよな」
伊野尾先生「どこが？」
有岡先生「なんていうか……。無菌室に入る前よりも余裕がある感じ？ 普通逆じゃない？ 今のほうがずっと辛くて苦しいと思うんだけど」
伊野尾先生「意外とそんなもんじゃない？ たぶん涼介も現実を受け止められるようになったんだよ。死ぬっていうのがどんなことなのかを考えて、自分なりの答えを出して。それで、余裕ができたんだと思う」
死を覚悟する子は、たくさんいる。
幼いなりに、わからないなりに考えて、自分は他の人よりも早く死ぬだけだと、受け止めることができる子は、たくさんいる。
たくさんの死を見てきた大人の俺たちよりも、自分が死ぬという現実を受け止めた子供の方が、ずっと強くて、かっこよくて、輝いていて、大人っぽい。
伊野尾先生「涼介もさ、大人になったんだよ」
大ちゃんは、「俺の中ではまだガキなんだけどなぁ」と小さな声で呟いた。
俺の中でもそうだよ、と心の中で言う。
有岡先生「ガキなんだけどさ、俺、涼介のこと尊敬してる」
「俺も尊敬してる」と、今度は口に出して言った。
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作者名：J | 作成日時：2020年9月29日 14時
