ガラスの靴を振りかざして3_緑 (ページ38)

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声を掛けられない。
先を歩く阿部さんの表情が見えない。
そしてこれはもう、誰に見られても、何があったって言い訳できない。
私はパニックに陥っていた。

なんで、
どうして、

「あ、阿部さんっ…」

ようやく口から溢れたのは、腰が抜けたような情けない声だった。
だけど今この状況で、私が出来ることはこれが限界だった。

阿部さんがゆっくりと立ち止まり、静かに振り返る。
彼を引き止めることに成功したという安堵と、この先どうすれば良いのかという不安が入り混じる。

「手を、離した方が良いかと、思うんです」
「え、なんで？」
あからさまに狼狽える私を一瞥した阿部さんは、片側の頬を膨らませながら拗ねたように言い返してきた。

なんでって、言われましても。
そんなの、こっちが聞きたいんですよ。

これが彼の武器である『あざとさテクニック』のうちの一つだとすればとんでもない話だ。
メンバーの中では常に言動に落ち着きがあり、誰から見ても知的で大人びている印象の阿部さんが、こんな時に子供っぽい仕草を見せてくるなんて想像もつかない。
その振り幅に先手を取られ、私は掛けるべき言葉を失った。

私が何も言わなくなると、阿部さんはまたすぐに前を向いてしまう。
いや、この場合はそっぽを向いたという方が正しいのかもしれない。

エントランスを抜け暖房の効いたロビーに入る。
そこでまた一気に恥ずかしさが込み上げてきた。
外との寒暖差に鼻先がくすぐったくなる。
だけど相変わらず私の意識は、密着している阿部さんの手のひらの温度と、それから絡まる指の感覚に集中してしまっていた。

「リスク管理…って、さっき阿部さんも言ってましたよ」
「……照にはずっと手首掴ませてたくせに、俺にはそういうこと言うの？」
阿部さんの声はいつになく不満げだ。

「うっ…それは、その」
気が付かなかったんです。
なんて、そんな馬鹿げた言い訳を阿部さんが信じてくれるはずもない。

口籠ったとたん、またさっきみたいな嫌な空気が私たちの間を流れていくような気がした。
これは私が悪いわけではない。
分かっているはずなのに、鳩尾のあたりがぎゅっと苦しくなった。
阿部さんの小さなため息に肩が揺れる。
だけど聞こえてきたのは、私を非難する言葉ではなかった。

「ほら、行くよ」

優しい声に頭を撫でられ、私のことを確かめるかのようにぎゅっと手を握られる。
今度こそどうしたら良いのか分からなくなり、私はただただ俯いた。