ガラスの靴を振りかざして3_緑 (ページ26)

今日:82 hit、昨日:151 hit、合計:230,206 hit

26 ページ26

＊

岩本さんも阿部さんも私より年下なのに、人生経験は豊富だし、それに精神年齢だって高い。
岩本さんの場合はお兄ちゃんというより、田ノ上さんとはまた違うタイプのお父さんに近い雰囲気だけど。
きっと本人に伝えたら拗ねた顔で「ねえ、なんで！」と抗議してくるんだろうな。

緩やかな上り坂を走りながら「そういえばさ、」と岩本さんが切り出した。
「朝走らないの？」
「朝ですか？」
「うん。だって、こんな夜道を走らなくても、明るいうちに走った方が安全じゃない？」
心配性な岩本さんらしい問いかけだった。

もちろん朝に走ることも考えていた。
朝のすがすがしい空気の中を走るなんて最高に贅沢で素晴らしいことだとは思うが、ランニングをすると、どうしても汗をかいてしまう。
そのあと仕事へ行くことを考えると、マナーとしてもシャワーを浴びなければいけない。
私はものすごく寒がりなので、どうせシャワーを浴びるなら湯船にも浸かりたいと思ってしまう。
湯船に浸かり、さらに髪の毛を乾かしてそこから支度するとなると、結構な早起きをしなければならないだろうし、それに正直、朝晩と一日二回も洗髪するのは髪が痛むしめんどくさい。

「汗かくとお風呂に入りたくなっちゃうので、夜の方が都合がいいんです」
そう伝えれば岩本さんは風に緩やかに靡く私の髪を見て「そっか、そうだよね」納得したように頷いた。

「でもこんな時間にランニングとか、怖くないの？」
「最初はちょっと不安だったんですけど、走りに行く前に阿部さんに連絡してるので」
「え、阿部に？」
岩本さんが驚き、一瞬こちらを見た。

「阿部になんて連絡してるの？」
「いってきますと、ただいま…っすかね」
そう。
実は行きとは別に、帰って来たらお風呂に入るタイミングでまた『帰りました』と阿部さんにチャットを送っているのだ。
阿部さんからは文章で『おかえり』と送られてくる時もあればスタンプが返ってくるだけの時もある。
まちまちだけど、向こうが言い出しっぺなので既読無視されたりすることはない。

「Aさんから言い出したの？」
私はまさか、と首を振る。
「阿部さんからです。夜遅いの心配だからって」
そう言えば、岩本さんはさらに大袈裟に驚いた。
数回瞬きをすると、口元に手を添えて何かを考えているような素振りを見せる。
「あの阿部がね」とか、時々聞こえてくる独り言を聞きながら、私は上り坂の先を見つめると、また靄のような白い息を吐き出した。