ガラスの靴を振りかざして3_緑 (ページ19)

今日:7 hit、昨日:151 hit、合計:230,131 hit

19 ページ19

＊

一番好きなのは、春と秋のひんやりとした中に清々しさを感じる朝の空気なんだけど、それを体感できるようになるまでに、少なくともあと三ヶ月以上は我慢しなければならない。

「よくこの時期に外を走れるね」
ホントえらいよ、と高級サーロインのお裾分けを自宅の玄関先で受け取りながら、阿部さんに言われたことがある。

阿部さんは岩本さんや渡辺さんと違い、普段からコンスタントに鍛えることはなかった。
だけどツアー前とか必要に応じてジムへ通うことはあるらしく、仕事をこなしながらプラスアルファで運動する大変さを身をもって知っていることから、言い方はアレだったが尊敬と感心のこもった眼差しで私を見てくれていた。

なので私もちょっと調子に乗って

「ただ何もせずにジッとしているくらいなら、移ろいゆく季節を肌で感じながら春を待つほうが…乙だと思いません？」

とスウェット姿のまま、貰ったサーロインを抱きしめながら、深澤さんがよくやるようなキザな感じの言い回しをしてみた。

決まったな、と自画自賛する私に対し、彼は一瞬きょとんとした顔のあとでにこやかに笑いながら、

「思わん。あとふっかのマネ似てないよ」
といつもより強めの毒をぺっと吐き捨てると、さっさと扉を閉めて帰って行ったのだった。

マンションを出発してから十分くらいで目黒川沿いの道に出た。
このすぐ近くには急行の停車する駅と、国道や環状線が走っている道路があり、そちらは道幅も広く明るいのだが、その分人の流れも交通量も多いので走るのには不向きだった。
なのでそこから一本入った目黒川沿いの道路と自宅近辺の閑静な住宅街を縫うように、四十分から一時間ほどかけて走るようにしている。

大通りから近く、街灯も多く、道幅の広い道路となると、必然的に周辺に住むランナーが集まってくるのか、それとも私が知らなかっただけでここが定番のランニングコースとして定着しているのか。
とりあえず男女や年齢関係なく、この時間帯でもランニングをしている人は結構多い。

マラソンのトップランナーみたいにものすごい速さで駆け抜けていく人もいれば、ギリギリランニングと言えるくらいのスピードで友人と話しながらのんびり走る人もいる。
法令遵守に則った走り方であれば細かなルールはないので、各自ペースはまちまちだ。
だから誰かを追い越したり、追い越されたりするのは日常茶飯事だった。