ガラスの靴を振りかざして3_緑 (ページ18)

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このマンションは大通りからほど近い場所にあるが、周辺は住宅街になっているため、この時間帯の人通りはまばらだ。
寒さと静けさも相まって、気を張り続けていないとへこたれてしまいそうな心に喝を入れる。

阿部さんに『行ってきます』と言ったんだから行くしかないぞ。

隙間風が入り込まないように首元のネックウォーマーの紐を締めると、二回、頬を叩いた。
はぁ、と肺から吐き出す息は白く煙のようにゆらゆらと頼りなく立ち上り、一瞬で夜の色に溶けて消えてしまう。

「っしゃ！」

自分を励ますために、声に出して気合いを入れた。

するとたまたま道路の反対側を歩いていた人がびっくりしてこちらを振り返る。
キョロキョロと周囲を見渡し、私と目があってすぐに逸らされた。
私は恥ずかしさを覚えて誤魔化すようにネックウォーマーを引っ張ると鼻先まで埋める。
逃げ出すように地面を蹴り上げると、さっそく冬の冷たい風が頬を撫で付けた。

「今年は暖冬になるかもね」と気象予報士の資格を持つ阿部さんが言っていた通り、この時期でも日中の気温は十月並みと穏やかな日が続いていた。
だけどそれはあくまでも太陽が顔を出している間の話で、夜になると季節相応にしっかりと冷え込む。

走っている最中は体も温まるし、じんわりと背中や額に汗が滲むこともあるけれど、ネックウォーマーでは隠しきれずに露出した両耳や、手袋をしていない指先は直にその寒さを食らっていた。
木枯らしが吹く日は、すぐにかじかんで真っ赤になる。
ランニング後に帰宅するとそのままお風呂場まで直行するのだが、感覚を失った状態でシャワーを浴びると、体の末端部分と耳のてっぺんから、ちぎれるような痛みが走るのだ。
あのジンジンだかピリピリだか、痺れるような独特な感じがどうしても苦手で、その度に情けない悲鳴を上げている。
手袋は家にあるものを使うとしても、問題は耳だ。
少々不恰好な見た目ではあるが、ここは大人しく耳当てを買うべきなのだろうかと最近真剣に悩んでいる。

走り出して五分くらいすると、徐々に呼吸やペースの調子が整ってくる。
冬の寒さは昔から好きではなかった。
だけど暖房の効いた閉鎖的なジムの空間でトレッドミルに乗り、ハムスターの回す滑車の如く永遠に同じ場所を走り続けるのとどちらがマシかと聞かれれば、私は間違いなく寒空の下でのランニングを選ぶ。

景色の変わらない場所で長く動き続けることのほうが、私にはよっぽど苦痛だった。