▽ 凍て解けの灯 ページ8
何も、見えない。ずっと視界が真っ暗で、怖い。
手と足が動かない。違う、動けない。まるで魂だけが人形に乗り移り、身体と意識の接続が上手くいっていないようだ。
漠然と押し寄せる恐怖をただ耐える事しか出来ず、上下左右の平衡感覚さえ失った意識の中。
たった1秒が、1日に感じる程に時間経過は遅い。
まるで数百年もここにいるような感覚。気が狂いそうになる。怖くて、怖くて堪らない。
まるでゴミ箱に入れられたゴミのようだ。
怖い、ずっと怖い_______あ、たたかい…？
ふと、右手に触れた人の温もり。
その手は、何も出来ずにいる私の手を一生懸命握ってくれる。握り返したいのに、握り返す事は出来ない。握り返せない事に申し訳ない気持ちになりながら、その温もりに縋った。
漠然と押し寄せてきた恐怖が引いていくのが分かる。
その手の温もりが、恐怖を振り払ってくれている。恐怖が振り払われた事で真っ暗だった視界にうっすらと光が差し込み、誰かが此方を見ている事に気付いた。
御礼が言いたいのに、声が出ない。喉の水分を全て奪われたような、からからな痛み。何かを察したように手を握る誰かは耳許まで近付き、｢眠ってて｣と朝凪のような優しい声で鼓膜を震わせた。その声に促されるように、また目を閉じる。
頬を擽る誰かの髪先。けれど、触覚が霧のように溶けているのか、本当に触れられているのか分からない。
再び遠くなる意識の中で、誰かの声が聴こえる。
｢大丈夫。お前は独りじゃない｣
｢お前の代わりは、この世界のどこにも居ない。…んなもん、あってたまるか｣
｢何者にもなれなくていい。Aが、Aでいるならそれでいい｣
｢この世界には、この物語には、Aが必要だから｣
｢Aの居場所は、この世界にちゃんとある。帰る場所はちゃんとある。Aの帰りを待つ人は沢山いる。今も待ってる。だから、今は安心して眠って。眠れるまで、ずっと傍にいるから｣
その手は、熱で汗ばんだ髪を梳かすように、華を愛でるように撫でた。脳味噌が重石に変わったようなずんとした痛みが段々と和らいでいくのが分かる。
ずっと、誰かに言って欲しかった言葉が花雨のように儚く振ってくる。
誰かの声に導かれるよう、泥のような眠りに付いた。
｢おやすみ｣
その日は、あの夢を見ずにぐっすりと眠れた。
眠っている合間にも、右手から伝わる温かさはずっと残されていたが目が覚めて再び右手を見た時には傍に誰もいなかった。
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作者名：こりん
| 作成日時：2024年3月30日 0時
