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Aの歌は最近いろんなところで耳にする。先月に終わったドラマの主題歌として選ばれたその歌は、カラオケの人気ランキングから音楽サイトの再生回数ランキングまで、全ての1番の文字を独占した。それに比例するようにメディア露出も増え、先日は金曜日の某音楽番組に出演していた。
元也くんの事を考えて作ったの。夕飯のメニューについて話したり、今日は暑いと話したりするのと全くおんなじトーンでAはそう言った。あんまりに普通だったから、そうなんだ、と流してしまいそうになった。その言葉を数秒かかって飲み込んで、俺はそれは大層に驚いた。俺の反応が気に入ったのか、Aの口はにっこりと弧を描いた。ドラマのヒロインの女優さんの最後の場面が思い起こされた。
「ねえ、今度歌ってよ」
そう俺が言うと、もちろん、とAは頷いた。そういえば今日は雨だった、とふと俺は気がついた。直前まで傘を差し、どんよりと曇った空に鬱憤を感じていた筈なのに、不思議だと思った。それに気がついた途端に、濡れたズボンの裾が冷たかった。
「そうと決まれば、今日はカラオケだね」
俺の返事を聞く間も無くAは俺の手を引っ張って走り出した。高く結上げられた柔らかい髪が揺れて、耳元で水色の宝石のあしらわれたイアリングが光った。たいようみたいだ、と柄にもなくそんな事を思った。眩しさに目が眩みそうになる。反抗できないくらいの強い力で俺はAに惹きつけられるのだ。
鈴の音のように凛と透き通った歌声を聴きながら、その居心地の良さにホッと息を吐いた。山の奥に隠れたように在る寂れた神社のような空気に包まれた。俗的なカラオケボックスが俺にはまるでパワースポットとか人智の及ばぬ力の働く場所のようだ。カラン、と氷が音を立てて、つう、とコップに水が伝った。
「藍微塵はねえ、勿忘草の別名なんだよ」
「勿忘草?」
思わず聞き返した俺を責めないでほしい。藍微塵は言うまでもなくAのこの歌のタイトルで、わすれなぐさ、と言うのはおそらく草の名前なのだろうが、男の俺はどうにもそう言う方面には疎いのだ。
「勿忘草はね、薄い青紫の花びらの花なの。それでね、花言葉はーーわたしを忘れないで」
捕まえたダンゴムシを両手で包んでこっそり見せてくれるみたいにそう言った。悪戯に声を潜めたAがいとおしいと思った。
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作者名:定期テスト攻略ワーク。 | 作成日時:2020年7月19日 19時