prologue ページ1
話す声一つ聞こえない廊下を、男は静かに歩いていた。
二つのドアを左に見て右に曲がり、そこから三つのドアを過ぎて左に曲がる。終わりの見えない長い廊下を迷いなく歩くと、突き当たりの扉を静かに2回ノック。いるか、とその向こうに投げかけると
「やあ。待ってたよ」
暫く後ドアが開き、部屋の主が一つのソファを指しながらその男を迎え入れる。男は部屋に入ると、指された方向より少しだけ入り口に近い小さなソファに腰を下ろした。
「それじゃ、早速だけど近況報告といこうか。俺が最近終わらせたのは小さな恋の物語2つと、とある米国スパイの物語、ってところかな。そっちは？」
「まあ、大体同じ感じだよ。喧嘩を止めて、一つ小さな旅の物語を終わらせて、それでおしまいだ」
男が投げ出すように言うと、部屋の主もはあ、とため息で返事する。
「最近分かりやすく大きいのが減ったからか仕事した、って気にならないなあ。もっと前みたいに大胆な依頼も受けたいよ。俺あれ大好きなんだよね。仲良し家族の“物語”を終わらせたやつ。本当、血も涙もないよね」
「それを毎回笑顔で話すお前もな」
間髪を入れずに男が指摘した。確かに目の前の人物が浮かべている表情は、悲しい話をしているときに出る“それ”ではない。
「まあ仕方ないよね。そんなものがあったらこんな仕事、続けていられるわけないし。という訳で、そんな血も涙もない俺たちに次の“依頼”だよ」
はいどうぞ、とやたら大仰に手渡された、ある人物の名前などの情報だけが書かれた至って簡素な一枚。それを見た瞬間、男の目が僅かに歪んだ。その刹那を見逃さなかった部屋の主は「何か気になることでもあったの」と笑みを浮かべながら問う。しかし
「いや、何でもない。この手の依頼は厄介なことが多くてつい、な」
瞬きのうちに元の涼しい顔に戻ると
「行こう。気が変わらないうちに依頼者サマにご挨拶だ」
やがて夜の藍と混ざり、その姿は見えなくなった。
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作者名：蛸馬 | 作成日時：2023年7月28日 11時
