ヨザクラミチシルベ ―神威に餞―混戦編

第九十三刀　：　悪徳 ページ14

左文字を宗三に預け、霞は厨へと向かう。
三日月は自然な流れでその後ろにつく。

―――背中には視線を感じたが、
霞は一言も言葉を発さなかった。

それは厨につくまでの間続き。

「―――三日月さん」

厨と廊下を仕切る戸板の前で、そう口をひらいた。

「ん？」

視線を向け直せば、
とても柔らかく、そして美しく、微笑む三日月がいる。
―――紅の瞳が、まるでそれを助長するように輝く。

おぞましく、這いまわる寒気。
地の底にうごめく熱のような紅が、
彼の魔性をより引き立たせているようにさえ感じた。

「・・っ、」

知らずと肩が僅かに震えた。
――目をあわせた刹那のこと。

「・・・主？」

あの日のように震える声だった。
同様に、しかし僅かばかりの震えをかかえ、
伸ばされた指先が頬へと触れる。

「・・・！」

喉の奥で音がした。

ふ、とも。
ひ、とも。

表現することの出来ない、
そして音として流れることもないそのこえは、
それでも三日月にはみえたようだった。

「・・主？ 何を、恐れておるのだ？
何故、俺が怖いというか？ なあ、主よ、何故、」

―――俺を見て、そんなにも怯えておる？

見開かれる紅の奥に黒。
ぐらぐら、その瞳の奥で月が揺れた。


「あるじ、」

途端、溢れんばかりににじみだす雫。
ぼろぼろと白磁の頬を伝って、地へ。

「主、なにをこわがることがある？
俺だ、主の一番そばにいる、俺ではないか。
なあ、主よ、そんな、そんなにも離れて、どうした？
俺が、俺がいる、こわいことなど何もな、・・・」

―――それが
三日月の吐き出す言葉の節々がまるで
何もわからない子供のようだった。
何故、自分が泣いているのかさえ、恐らく彼はわかっていない。

―――何故、霞が己を拒絶し畏怖するのかも、もう、わからなくなってしまった。


「なあ、どうすればいい？
どうすれば、主は怖がらない？
抱きしめようか？ それとも、寄り添えばいいか？
その震える肩を支えればいいのか？ 何をすればいい？
なぁ、主、あるじ、教えてくれ、どうすれば主は、安息を得られる？」
「――三日月さん！何をしたの！！」
「！」

今度は、三日月の肩が揺らぐ。
伸ばされた手も、宙にとどまったまま。

「・・この、たった一夜で、何をしたの・・」

こぼした自分の声も、震えていた。

「・・今のあなたは、本当に俺があの神社で見た、三日月宗近？」




先にまけたのは、どちら。







―――・・


これがあの悪夢の、前日のこと。

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