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「馬鹿ッ！何時だと思ってんだ！」

　半ば音割れした怒号に右耳を砕かれて目を固く瞑る。甲走る稲妻にも似た耳鳴りが響き出してスマートフォンから耳を離した。息が苦しいと思えば無意識に呼吸を止めてしまっていた。
　状況を頭の中で整頓しようにもたった今怒鳴られた事実に正気がごっそりと奪われている。叫ばれた言葉を思い出すことさえできない。迅くんの荒らげた怒声が今もスピーカーから漏れ出していて、とりあえず反対の耳にスマートフォンをあてがった。

「どこにいんの！」
「え、あ、外だけど」
「外？外！？一人で！？」
「うん……？」

　息を呑むような緊迫感が胸のなかまで伝わり、突如として通話画面と左耳の間に訪れた冷たい沈黙。五秒、十秒、それくらいの間を置いてから、耐えきれなかった私がなにかしら言葉を発そうとする前に平坦な声音を迅くんが流した。

「……トリガーは？」
「トリガーは持ってる、ねえ迅くん……、」

　これまでになく低く煮えきった声音が場の空気をどんより揺らしている。重々しく、肩が凝る。緊張感が琴線のように突っ張った問答に息も詰まっていた。喉元がへばりついていて苦しい。さらにこれ以上私から言ったってなにも返してくれない確信があった。任せっきりな返事の語尾に気にかけることのないまま、迅くんは変わらず底冷えした低音を私の鼓膜に刺してくる。

「はやく玉狛(こっち)帰ってきて。おれも今からそっち行く」

　え、と出るより先に雑な切断音を残して通話は途絶えた。応答直後の「馬鹿」という、おそらく心からの罵倒に気持ちを深々と沈めながらスマートフォンにロックをかける。あんなに本気で言われたのは初めてかもしれない。
　そのショックがとてつもない大きさをしていて、肝心の事態を少しも理解できていない。あの迅くんが心の底から怒っている。息を止めかねない冷えが左胸から全身へ巡りだした。気温の冷たさとは明らかに違う寒気が体の芯から広がっていく感覚に気味が悪くて、私はひたすら胸元を手で撫でつけてみせる。落ち着いてと言い聞かせながら。落ち着いて、落ち着かなきゃ、でもやっぱりどうしよう。こんなに怒らせてしまったのなんて初めてで、このあと……。ううんここで考えていても駄目だよね。
　とりあえず帰らなきゃ。
　沈んだ動作でローヒールのブーツを右足から鳴らした。