小料理屋かずら ページ3
少し猫背のその人は、襟回りのよれたただの黒いシャツを着ているだけなのに、しゃんとした大きな背中の持ち主だった。その背中のうしろについて行って、商店と商店の間の路地を歩き、左手に小さな空き地の見えた頃。ん、と前を進んでいた人は空き地の反対側を顎で示して一言。
「アレルギーとか、嫌いな食いモンとかある？」
引き戸に藍色の暖簾が掛かった小さな店の名は『小料理屋かずら』という。戸口の隅に立て掛けられた看板からそうだと知った。
＊
「あーん、そうだなー……ああー、豚肉無いけど挽き肉でいいか」
「あの、僕お金ないです……」
カズラさん(その人は一向に名乗る気配が無く、同時に僕も名乗る機会が伺えなかったためこう呼ぶ)は僕を店内の、所謂カウンターと呼べるような席に座らせて店の奥に入っていく。高校生がこんなところで満足に食べるだけの金を支払うことなどできないがために、ずっと困惑していた僕はタイミングも考えず無理矢理にそう口にした。カウンターの向こう、酒瓶でいっぱいの棚を背後に藍色の三角巾のようなものをつけて現れたカズラさんは、ああ、と平坦な声のまま続ける。
「店で出すようなモン作るんじゃないし、金は取んないよ。具なんかキャベツと挽き肉だけだぜ？ 少なくとも俺はこれでお前からは金取らない」
かぁん、調理台に乗せられた銀色のボウルがささやかながら音をたてる。どさ、と質量のある茶色い紙袋と、そっとお馴染みの一パック十二個入りの卵が続く。紙袋の中身を戸惑いなくボウルに開けるカズラさんは、白い粉を見つめていた目をクンと僕に向けた。
「何枚食べる？」
「……なに、作るんですか？」
「とっても簡単なお好み焼き」
目分量で小麦粉を、片手で卵を六つ割り入れたカズラさんは、じっと僕を見つめている。黒目が大きくて二重瞼で、更には太めの眉も合わさり相乗効果でこの人は目力が強い。威圧されている感じはしないが、有無を言わせる気配も無い。僕は目を反らすこともできず、にまい、と答えた。
「俺四枚になんじゃん、もう一枚食ってけ。タダなんだからどんどんいけ」
タダより高いものは無い、そんな気持ちにさせられた。ちょっと顔がひきつった気がするし、カズラさんがニタッと笑ってみせたから、多分本当にひきつった。
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