＊ ページ27
.
その日の晩も俺は医学書を読み漁っていた。ない、ない、ない、ない。昼間の彼女の寂しげな笑みが脳裏を過るたび焦りを連れてくる。
Aの冗談に決まっとるやろ。
⎯⎯⎯なあ、それ、ほんまに？保証は、あるんか？
｢……んなの、あるかよ｣
Aは弱い癖していつも笑っていた。細い手足を引き摺って、これでも私は軍人だ、と身丈に合わない剣を握りしめていた。護りたいものを護るのだ、と。
辛い時ほど笑うやつだった。最近、Aの笑顔を見てばかりだった。⎯⎯⎯現実から逃げるな。探せ、探せ。俺は何よりそんなAを支えてやるために軍医になったのだから。
｢ねえ、鬱？部屋にいる？｣
充血した目から涙が落ちるのも気づかないほど医学書に没頭していた時。こんこん、と鳴らされた扉と共にAの声が外から聞こえた。おるよ、と返せば、抵抗なく開かれた扉の向こうから彼女が部屋へと踏み込む。
⎯⎯⎯はっと、息を飲んだ。
｢歩くのも、疲れちゃう。花って案外重たいんだね｣
｢な、んや、それ、なんでそんな、｣
｢ふふ。間抜けな顔してる｣
椅子に座ったまま動けない俺の前にAが立つ。異様な姿だった。右目、両手、そうして両腕両足にも広がる勿忘草の群生。絡み、伝う蔓は胴体にまで伸びていた。急速に成長したそれはきっともう時期Aを呑み込むのだろう、と漠然とした予測が心臓の鼓動を早めさせる。
｢花が絡まってるせいかな。心臓が、ちょっとだけのろまに動くの｣
｢そのうち、止まっちゃうのかな｣
｢⎯⎯⎯苦しい、なぁ｣
見上げた先で笑顔を浮かべるAの左目からはぽたり、ぽたりと涙が落ちていた。そうして右目の花はまるでその涙を吸って成長していくように、ひとつ、ふたつと花弁を咲かせてゆく。
｢うつ、ねえ、鬱。私のこと、わすれないで｣
｢何、言うとんねん。忘れる？そんなはずないやろ、ないから、｣
｢寂しいの。もう私の笑顔も、匂いも、思い出せなかったでしょう？｣
馬鹿なことを言うな。Aの笑顔はここにある。甘い、花のような匂いはここにある。何も消えちゃいない。
だから泣かないでくれ。そう言って、花の咲き乱れるAを強く腕に抱いた。俺の落とした涙が花弁に触れ、また、花はとめどなくその白を広げてゆく。
やめてや、俺からAを、奪わんで。
手のひらでぐっと花の蕾を握り潰す。しかし、指の隙間を這って花は、咲く。咲く。
.
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 101人がお気に入り
お気に入り作者に追加
この作品を見ている人にオススメ
この作品を含むプレイリスト 
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
野々宮蓮花(プロフ) - なななさん» 一緒に楽しんでいただけてとても嬉しいです。そう言って頂けて、企画主冥利に尽きます。こちらこそ最後までお付き合いくださりありがとうございました…！ (2020年9月21日 4時) (
レス) id: 720637d64b (このIDを非表示/違反報告)
ななな(プロフ) - 主催者さまはじめ、執筆を担当されました作者さま、素晴らしいお話の数々本当にありがとうございました。いつまでも続けばいいのに、と思うほどの素敵な作品しかなく胸を打たれる毎日でした。 改めまして、お疲れ様でございました！ (2020年9月21日 0時) (レス) id: 547b684aec (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
