声を上げる。 ページ4
いい夫婦の日
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Aは昔から、俺が言葉に詰まったときに代わりに声を上げてくれるひとだった。俺の声なき言葉を理解してくれるひとだった。そんな彼女が、俺の思いを誰より熟知していたはずの彼女が、唯一見て見ぬふりをしたのは恋心だった。
当時のAに聞いたわけではないので本当のところは定かではないものの、あの頃の彼女は俺の恋心を恐れていたように思う。彼女もまた俺に恋をしていたにも関わらず、だ。女性の心、というよりAの心は難しい。平安時代、静かな夜にぽつりと浮かぶ月を見て涙を流すお姫様にも似た繊細な心を好ましいと思ってしまった俺にとっては、そんなところさえも愛おしいのであるが。
｢A、顔を見せてくれないか？｣
｢むり……｣
布団を被り枕に顔を埋めるAの表情は分からない。しかし、この広い家で距離はあると言えど同じベッドから出ていかないあたり、嫌がられていることはないという確信だけがある。
｢おやすみのハグはいいのか｣
｢……ぎゅってしたらまたチューするでしょ｣
｢妻にキスをして何が悪いのか分からないな｣
｢つ……！｣
｢分かった分かった、ちゃんと待つよ｣
妻と呼んだくらいで狼狽えているから、彼女の恋愛への緊張感や未だ微かに残っているらしい恐怖心を解すには多少時間がかかりそうだ。せっかく捕まえてこの家に囲い込んだのに、逃げられでもしたら目も当てられない。焦るのは良くないのだろう。
｢おやすみ｣
｢……おやすみ｣
布団に隠れた頭を撫でると、僅かな間の後くぐもった小さな声が返ってきた。きゅ、と心臓を締め付けられるような感覚に思わずため息が出る。こんな些細なことで胸を高鳴らせるほど、俺はAのことが好きなのか。ただの挨拶だぞ。等と自分に突っ込んだところで心はそう簡単に言うことを聞いてはくれない。
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作者名：おひめ | 作成日時：2023年11月8日 13時
