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Aには一時親元を離れることで、中途半端に現実を突きつけられてしまった経験がある。怪我の応急処置の話を聞いただけで体調を崩して倒れたとき、そして人の中にある複雑怪奇な悪意を敏感に察知して眠れなくなったとき。忙しなく過ぎる時間にすら物思いをするAを見て、誰かが守らなければこの世界で生きていけないであろうことは、当時の俺でも容易に想像がつくほどだった。
温室で蝶よ花よと過保護に育てられた彼女に怪我は無縁であったし、世間知らずな割に学問や芸術等の様々な経験を与えられていた彼女は人一倍感受性と知性に優れていたし、好きと嫌いと無関心、敵と味方とその他の枠組みが明確でそこにわざわざ他意を持たせることなんてない彼女に、様々な欲や打算が見え隠れする悪意を理解するなど到底できようはずもない。
｢おまえの世界に悪いものなんて何もない｣
｢本当に？｣
寝落ちしかけていたAの意識が微かに浮上する。頭のてっぺんに顔を寄せると、微かに薔薇の香がした。
彼女が夢見ている良心に溢れる現実はない。円堂たちとの出会いが如何に稀有なものであったか今の俺は知っている。誰もが打算と損得勘定で動くのが無情な現実だ。しかし、そのことにAが苦しんでしまうのなら、何も分からないように目隠しをして、あたたかくて美しいものだけを与えよう。
｢安心しろ。おまえの周りにはきれいなものしか集まらないと、生まれ落ちた瞬間から決まっている｣
｢ふふ、大袈裟じゃない？｣
大袈裟でも冗談でもないが、笑う余裕が出てきたようでこっそり安堵する。漸く顔を上げ此方を真っ直ぐ見たAに惹き寄せられるようにひとつキスを落とした。
大人になるまでずっとAの世界を守っていたのはお義母さんだったが、これからは違う。彼女を苦しめるすべてを、永遠に彼女の目の前から消し去る庇護者は他でもない俺でありたい。
Aの世界を丸ごと俺の色に染め上げてしまうのも、悪くないだろう。
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作者名：おひめ | 作成日時：2023年1月31日 1時
