297 君へ贈る旋律 ページ47
計12小節、35秒の、ピアノソロのイントロ。
深みのある優美な旋律が、私の、聴衆の鼓膜を穏やかに刺激する。
神童の部屋で合わせた時より音の響き方は断然違う。だけどその指が奏でる鮮やかな旋律は、いつもと同じ神童のものだった。
イントロが終わるタイミングで私は短く息を吸い、主旋律を弾き始める。
今度は1オクターブ上で、もう一度同じ旋律を。神童のピアノが、私のバイオリンの音色をしっかりと支えてくれていた。
五年前の演奏の記憶はほとんどない。忘れたいと思ったから、思い出に無意識に蓋をしてしまっていたのだろう。
でも今日は違う。視界の端で揺れる自分のドレスの裾の広がりも、濡れたように光るグランドピアノの輝きも……そんな一瞬一瞬の全てを覚えていたい。
再度同じ旋律を繰り返して、再びピアノソロに入る。今までのたおやかな音色とは打って変わり、音が短く切れる力強い響きになる。曲の折り返し地点だ。
終わりたくない……終わってほしくない。この瞬間がずっと続いてほしい。
しかし、始まれば終わる。なら五分ほどの限られた時間の中で、最高の演奏をすることだけを考える。
クレッシェンドで盛り上がったパートが終わり、再び先程繰り返した主旋律に戻る。
私の口元には自然と笑みが浮かんでいた。
神童の、誰にも負けない力強い思いが、音色に乗って私の中に流れ込んでくる気がする。
──『何年かぶりに見たよ。Aの笑った顔』
河川敷で仲直りした時の、安心したような顔。
──『その言葉を、ずっと待ってたんだ』
神童の家で、音色を響き合わせた時の笑顔。
──『でもAは、笑っている姿が一番魅力的だと思うぞ』
いつかの雨の日、狭い遊具の中で雨宿りした時のこと。
──『Aと出会えてよかったと、心からそう思う』
沢山の思い出が、鮮やかな色を纏って降り注いでくる。
嗚呼、なんて──綺麗で眩しくて、暖かなんだろう。
願わくば、君の傍でこれからも音を紡ぎ続けられたら。
君の傍で、色んな景色を見られたら。色んなことを話せたら。
そうできたらどんなに幸せだろう。どんなに嬉しいだろう。
──ねえ、神童。私今、ひょっとしたら世界で一番幸せかもしれない。なんちゃって。
溢れ出る自分の思いをありったけ乗せて、弓を引く。
今この瞬間に奏でている音が──君に贈る、ただ一つの旋律だから。
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 141人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
キメラ(プロフ) - うさまる。さん» コメントありがとうございます！ 更新に波があって、お待たせしてしまって申し訳ないです💦 ゆっくりペースの連載になりますがこれからも見守ってもらえるとありがたいです！ (2022年10月22日 10時) (
レス) id: ac6bc7be2b (このIDを非表示/違反報告)
うさまる。(プロフ) - 更新ありがとうございます！この作品大好きなのでとても嬉しいです！無理せず更新頑張ってください！ (2022年10月22日 9時) (レス) @page33 id: b10d69f65a (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：キメラ | 作成日時：2022年9月10日 9時
