846 静かな喝 ページ39
「緊張してる？」
私は正直に頷いた。ずっと一緒にいるクロエには、強がりもあっという間に見破られる気がした。
「ベンチからのスタートなのに、こんなに怖がってるっていうのも変だけど……」
「ベンチだろうがなんだろうが関係ないよ。怖くなっちゃうのは、それだけAの思いが本物だってこと。試合にかける思いが強いってこと」
まあ、怖くならないのが一番なんだけどね──ごくごく軽い調子でクロエは言う。
私ははたと顔を上げた。
ずっと一緒にいた、と言っても、この子と初めて出会ってから二か月ほどしか経っていない。
その短期間で、クロエは強く大きく成長した。そして多分、私自身も。クロエがいなかったら私はきっと、いつまでもうじうじ煮え切らないままサッカーをしていたに違いない。
ふと、その時。クロエの白い両手が伸びて、私の頬を優しく包んだ。
整った顔が近づいてくる。戸惑う暇すら与えられず、私はされるがままになる。
そして、おでことおでこがくっついた。
触れているところからぬくもりが伝わってくる。伏せられたクロエの睫毛が、頬に影を落としている。
「絶対勝てるおまじない」
静かで、だけど今まで聞いた中で一番力強い声だった。
「Aなら絶対絶対大丈夫。私が保証する」
それは何より力強い鼓舞。
頭の中に、クロエと過ごした今までの日々が一挙に去来する。
初めて一緒にお風呂に入った日、クロエが散々怖がって暴れたこと。夕暮れの道で、眠りこけてしまったクロエをおんぶして家路を歩いたこと。
気持ちがすれ違ってしまったこと。互いの気持ちを打ち明けて、共に戦うのを決意したこと。
自分には何もないと言ってしまった私に、クロエが思い切り平手打ちしたこと。悩む私の背を無言で押してくれたこと。
化身とか、人間とか。そういう垣根を飛び越えて、クロエは私の大切な、唯一無二で最高の相棒なのだ。
私はクロエの手に自分の手を重ねる。
「──ありがとう、クロエ。力みなぎってきた感じがする」
身を離したクロエは、満足そうに笑った。おまじないの効果は絶大だった。鼓動はいつの間にか普通に戻っていた。
「ミキシマックスはバンバン使うことになるだろうけどさ、私のことも出し惜しみしないでね。最後の大試合なんだし」
「もちろん、そのつもり」
私はそれだけ言って頷く。
最後という言葉にどんな言葉が込められているのか、今は目を逸らしたいと思った。
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作者名：キメラ | 作成日時：2023年12月28日 11時
