631 その言葉があったから ページ24
「こんなところにいたのか」
草を踏み分ける足音がして振り向く。そこに立っていたのは剣城だった。
「ちょっと寝れなくて」
クロエの返事を聞いた剣城は一瞬訝しんだが、その整った顔に思いつめたような色はなかったので、心の中で安堵する。本当に散歩をしていただけのようだった。
剣城は少し迷って、クロエの隣に腰かけた。草がチクチクと素肌を刺してきて痛かった。
二人はしばらくの間何も言わず、空を見つめていた。
何も遮るものがない夜空は、何も黙して語らない。画鋲か何かで打ち付けられたかのように、星たちはその場にとどまって動かなかった。
「ありがとうね、この前」
沈黙をクロエが破った。
「この前？」
「幕末の時。私に言ってくれたあのことばがあったから、私は前を向いてあるけた。たたかう覚悟を決められた」
──譲れないものを自分の中に一つもっておけば、それが信念になる。
剣城の言葉はクロエの中に確かな決意をもたらした。言った本人にそのつもりがなくとも、クロエは剣城に対して感謝の気持ちを抱いていた。
「俺は別に」と言いかけた剣城だったが、クロエの澄んだ瞳を見て口をつぐむ。
「私って何者なのかなあって、たまにおもう。剣城は『そんなこと考えたらきりがない』って言ってたけど」
生きた証。伸べられた手。人間。化身。様々な人から聞いた様々な言葉が、クロエの頭の中を絶えず巡っていた。
人間になりたいと思ったことはあまりなかった。だけどAの中に影となって戻る時、自分はやっぱりこの世界から逸脱した存在なのだなと感じていた。
「ほかのみんなの化身も私みたいに自律したらおもしろいのにね」
クロエが漏らした言葉は、本音だった。肉体を持つ化身が自分一人だけでなかったとしたら、それはとても心強かっただろうと感じられる。
「ペガサスアークはそうだなあ、見た目こわそうだけど、天馬に似てサッカーバカの魔神みたいな」
「ああ、まあ、ありえるかもな」
「マエストロは芸術家だからちょっとカタブツぽいかも？ 腕が四本あるからさ、バイオリンとピアノ同時にひけちゃったりして」
「……だいぶシュールな絵面だな」
「ブリュンヒルデは優しいおねえさんだったらいいな」
「早く生まれたのはお前なんだから、お前が姉になるんじゃないのか」
「こまかいことはいいの。あとは──」
それからクロエは化身の名を次々に挙げていく。今までに出会った化身のことをすべて覚えているようだった。
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作者名：キメラ | 作成日時：2023年8月1日 10時
