第２８話 ページ28
翌日も、しっとりとした静かな雨が降っていた。
私はレースのカーテンを捲る。
雨粒のついた窓に写っているのは、深い群青のドレスを着て微笑む、“名前のない人物”…
ダンスホールの演奏と喧騒に包まれながら、私は一昨日のことを思い出していた。
──────結城中佐の執務室に足を運んだのは、初めてＤ機関に来たあの日以来だった。
「貴様に任務をやる」
中佐はぶっきらぼうに最低限の音量で告げる。
投げられた厚さ一センチメートル程のファイルは、整然として無機質な木のデスクを滑り、私の前で止まった。
「結城さん？ お言葉ですけれど─────」
「“自分はスパイでないから任務は受けない”…か？」
中佐の蔑むような目に、怯んで言葉が出てこない。年相応の掠れた笑い声がした。
「貴様が退屈を感じていることに、俺が気が付かないとでも思ったのか」
「いえ」
「…資料に目を通せ」
私は言われるがまま、額の冷や汗も拭わずファイルを手に取った。
昔、母に叩き込まれた速読法をつかい、内容を記憶する……ファイルを閉じ、デスク上に戻した。
「今回Ｄ機関をつかわないのは…A、貴様が適任だからだ」
中佐は顔の前で両手を組んだまま微動だにしない。
「貴様は知識と技術を持っている。少しとはいえうちの訓練も受けた…憲兵の“スパイごっこ”よりは幾分かマシだろう」
「…貴方がそう仰るなら、そうなのでしょうね」
恐ろしく有能な結城中佐が、そもそも不可能な任務を与えるはずはない。
私は目を閉じ、暗闇の中で自分に言い聞かせる。
─────ほんの少しの間、自分を忘れるだけ。難しいことじゃないのよ─────
「用件はそれだけだ」
中佐は眠ったように目を瞑って動かなかった。
四文字で表すなら“面会謝絶”といった感じがしたので、私は「失礼いたします」と一声かけて部屋を出た…───────
「ご婦人」
私はカーテンを離して振り返った。そこには予想通り、昨日同じ傘に入った男がいた。
名前は、門田 康明。職業は、映画監督兼俳優。
満州で映画会社を作りそこそこ成功した、業界ではわりと知られている人物だ。
穏やかな物腰と、素朴ながらも端正な顔立ちで、公の場では言い寄る女優やら、ゴマをする名の知れない俳優が少なからずいる。
「あら、ごきげんよう」
にこやかな私を見て、門田は安心したように微笑んだ。
「やぁ…昨日は、どうもありがとうございました」
「いいえ。背広は乾きまして？」
「ええ、お陰さまで」
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凛々(プロフ) - とても面白かったです！！原作のイメージが全く崩れないっtとりとした雰囲気が最高でした。蝶のくだりは思わず泣きました。素敵なお話を書いてくださってありがとうございます。このお話に出会えて良かったです。 (2019年12月18日 0時) (
レス) id: 2ad6838eaa (このIDを非表示/違反報告)
こな(プロフ) - 燐さん» 返信が遅くなり申し訳ありません！とんでもないです、ありがとうございます！楽しんで頂けたようで嬉しく思います(^^) (2018年10月22日 11時) (レス) id: 6c36d7dbcf (このIDを非表示/違反報告)
燐 - めっちゃ切ない…!文才ハンパないっすね。展開もリアルで面白かったです！ラスト、三好さんの声が聞こえたトコロめっちゃ感動しました！ (2018年10月16日 22時) (レス) id: 6e4e502025 (このIDを非表示/違反報告)
こな(プロフ) - 信乃さん» ありがとうございます！そう言ってくださる読者様のおかげです(;;)最後まで読んでくださりありがとうございました！ (2018年10月15日 0時) (レス) id: 6c36d7dbcf (このIDを非表示/違反報告)
信乃(プロフ) - 完結おめでとうございます。毎回更新が楽しみでした！楽しく読ませていただきありがとうございました。 (2018年10月14日 21時) (レス) id: 3929cd90dd (このIDを非表示/違反報告)
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作者名：こな | 作成日時：2017年5月28日 15時
