百三十歩目。 ページ31
―Aside―
何が起きてる。何を見てる。
目の前の分厚いガラス越しにいるのは誰だ。
違う。そんな訳がない。何だこれは、酷い悪夢だ。
《今から20秒後に目覚めます》
無機質な音声が響いた。
いつからだとかは覚えてないけど、昔から機械音が嫌いだ。
でも、おかげで少し頭が冷えた。
何をすべきか、分かってる。理解してる。
目の前にいるのが誰なのかも、どうしてこうなったのかも。
目を逸らすことも耳を塞ぐことも足を止めることも許されないから。
オール・フォー・ワンが何を企んでるのか分からない。何でこんなことをしたのかも分からない。
《３、２、１...》
バチンッ
"脳無"の身体が揺れて、目が開かれる。
ゆっくりと頭を上げたソイツと目が合った。
心臓がうるさい、破裂しそうだ。
喉が渇いて仕方ない。寒いのに熱い。
何でもいい、一言でいいから、言わないと。
なにか、
『おかあ、さん、』
掠れたし震えたけれど、確実に聞こえたはずだ。
私が呼べば笑顔で返事をしてくれる。優しく抱きしめてくれる。
何度思い出して、何度夢に見たか。お母さんは私の幸せそのものだったんだ。
目の前の"脳無"の表情は無。目に光がない。瞬きもしない。呼吸で身体が揺れることもない。
目に入りそうな前髪を邪魔がる様子もない。反応が一切感じられない。
本当に、お母さんだっていうなら、話したい。
ずっとは無理だろうけど、最後で良いから、ちゃんと受け入れるから、
私を思い出して、話をして。
『......私が５歳の時、初めての鉄棒で失敗して落ちて、頭を怪我したの覚えてる？私がびっくりして泣きもせずに座り込んでたらお母さんがすごく慌てて心配してくれるから、痛みより嬉しくて笑っちゃったんだ』
『初めてテストで100点時にお母さんが喜んでくれたから、勉強がんばるようになったんだよ。すごいね、さすがだねってお母さんが褒めてくれるから、何でもがんばれたの。勉強も運動も家のお手伝いも全部。良い子だねって言ってもらえるのが嬉しかったから』
『私の帰ってくる時間に合わせて仕事抜けて来てくれてたの、気付くの遅くなってごめんね。一人でも留守番できるよって言った時に家で一人さみしくないようにって里親に出されてた子猫引き取ってくれてありがとう。今も一緒にいるよ。すごく元気だよ』
反応、なし。
こんなんじゃダメ？私との思い出なんて忘れちゃった？
もう、そこにはいないの...？
▽
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作者名：えると。 | 作成日時：2023年3月6日 22時
