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「海は海ですよ」
しばらく考えた後、諦めたように日芽が言った。史は心底つまらなさそうに、そう、と返す。視線は窓の方へ。あからさまな態度に、苛立ちでわずかに日芽の眉の片方が上がる。
「やっぱり見に行くしかないかなあ。もう一度上と掛け合ってみるか」
「見に行ったところで分かるとは思えませんけど」
史の独り言に、少し棘のある言葉を日芽は投げる。すると、史は嬉々として視線を彼女の下に戻して聞いた。
「へえ。それはまたどうして？」
「さっき『読むのに必要』って言いましたよね。じゃったら、理解すべきは、本当の海やなくて、それを書いた人が見た海でしょう」
「そうだね。けれど、文章を読んで理解する上で、自分の実感や記憶と関連付けるのは重要な作業だ。しかし、そのどちらも俺にはない。だから――」
そこまで言って、ああ、と史は思いついたように机の上の紙束をまとめた。そして、それを彼女の方へ突き出す。
「君が読めばいいのか。君は海を知ってるらしいし、関連付けるに十分な記憶も実感もあるだろう」
面倒だ、と言うように視線だけ日芽はその紙束に寄越した。受け取る気はないらしい。それを知ってか知らずか、史は言葉を足しながら彼女に押し付ける。
「遺書だよ」
史が手を離したために落ちそうになった紙束へ、反射的に日芽は手を伸ばす。
「海で育った、歌うたいの男の遺書だ。それくらいの文脈があれば十分だろう」
そう言って彼は一方的に会話を打ち切った。先ほどまでの会話を、読み終えた本のように投げ出して脇に積んであった本を手に取っている。日芽は紙束を黙って机の上に戻してやろうかと思った。自分の仕事はあくまで警護だ。彼の道楽だか仕事だか知らないが、どちらにせよ付き合ってやる必要はない。
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