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幾万の表情の、一 ページ10
「ちょっとー。お待ちかねの海なんじゃけどー。なに露骨にテンション下げとるんよ」
ここまで来るのに徒歩三十分。空は曇っているくせに、熱気が地面からもうもうと上がってくる。それをさらっていくはずの風もほとんど吹かない・服の襟首を掴み、風を送りながら不満げな声で日芽は語りかける。
だってさあ、と同行者――というより、ここまで彼女を連れてきた張本人である、友人のヒラクが気の抜けた声で言う。
「地味じゃない？」
そう彼が指さす先には、苔むしたブロック、錆びた船が幾つか泊った港、そして少し遠くには小島が幾つかある。水面は、青というには暗すぎる色だった。たまに枯れ枝と、謎の破片が流れてくる。その先をちらりと見て、また海を背にして興味なさげに日芽は言った。
「今日は曇りやしこんなもんじゃろう。あと近くで見ればゴミ浮いとるのは当たり前やし」
「俺、ヒメから海の話聞いた時から見るの楽しみにしてたのに」
「何で。そんなええように言うた？」
「言ったつもりなくても、ヒメが言う海は全部きらきらしてて、綺麗で……とにかく、最高だったんだって」
そ、と返しながら日芽は大きく伸びをした。実際に自分がいつ、どんな言葉で海の話をしたかは全く覚えていない。けれど、自分が語った海が本当の海より豊かだとは到底思えなかった。それは、いま目の前の「地味な」海であってもそう。自分は海に「地味な」日があることくらい知っていた、というより当然のことと思っていた。けれど、彼女の言葉に第一の信頼を置いて海を解していた彼は違うらしい。何だか悪いことをしたような気がする。
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