○ 予兆 ページ1
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「元気ないね、マルコ」
そう言われながら、目の前にマグカップが差し出される。ありがとよい、と返してたっぷりとミルクが入ったコーヒーを受け取って、目でその手を追いかけた。
元気がないのは、Aの方だ。
「元気だしてー」
「このコーヒーで元気出ねえだろい」
「なんでよ。せっかくミルクたっぷりなのに」
「俺はブラック派なんだよい」
「だからミルク入れてあげたんでしょ」
「はいはい」
「ね、エースから連絡は？」
「ねえな。何やってんだかわからねえよい」
「もう諦めて、帰って来ちゃえばいいのにね」
「ああ」
Aは自分の分のマグカップを持ってカウンターを回ってくると、俺の隣にちょこんと座った。14時という微妙な時間のせいか、食堂には俺たち以外に人はいない。
「Aお前、ちゃんとメシ食ってんのかい」
「くってるくってるー」
「嘘こけ。ずいぶん痩せたろうが」
「んー、そう？かわいくなった？」
「ばか言うな。俺は心配してんだよい」
「医者みたいなこと言わないで」
「医者だよい」
俺のツッコミに楽しそうに笑うAは、コーヒーを喉に無理やり流し込むみたいにして飲んだ。彼女の手元を覗き込めば、その中身は俺のよりずっと白くて、ミルクをどれだけ入れたのかと呆れそうになるけれど、俺はそれを見て悲しくなってしまう。
彼女はコックなのに、もうあの日から、味がわからないのだ。
「コックが食えないメシ、クルーに出すなよい」
小さな小さな頭を撫でて、うん、と可憐な声で頷いたのを聞いた。15年もこの船にいて、もう立派な大人だというのに、どうしても子供扱いしてしまう。
「あ、」
Aの声を聞いていた。どうした、と聞く前に、Aの身体がこちらに倒れるのを感じた。
「おい、A？」
マグカップが倒れて、カウンターを転がる。黄土色の液体がAの腕をつたって、シャツを湿らせた。力無く開いた瞼の向こうには、真っ赤に充血した白目しか見えなかった。
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作者名：ライ | 作成日時：2021年11月17日 13時
