6話 ページ7
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「実はAちゃんと話したかったんだよね」
オフィスを出てすぐのエレベーターでエントランスまで下りる。エレベーターから降りてすぐに、彼はそんな、私の予想をはるかに超える言葉を発した。なにかしてしまったのではないか、不穏な動悸が私の中に響く。
「ほら、ウェルカムパーティではみんなと親睦を深めて欲しかったし。何気に俺たちが1対1で話すことなんてなかなかなかったでしょ? どう、仕事には慣れた?」
彼は少し心配そうにそう言った。優しく面倒見のいい彼。国とはこんなにも穏やかなものなのか、それとも人間には想像できないほどの時間を生きているからこその余裕なのか。
「はい、もうだいぶ慣れました。皆さん優しく教えてくださるので」
「うんうん、それなら良かった」
「……あの、ウェールズさん、聞いてもいいですか」
私は肩にかけたハンドバッグの持ち手をぎゅっと握りしめた。彼は軽く首を傾げながら『なぁに?』と言う。街灯に、車のライトに、店から漏れる明かりに、幾重にも重なった私たちの影。
「どうして、毎日朝も夜も誰よりもオフィスに残るんですか?」
私たちの横を車が通り過ぎる音だけが響く。彼は少し驚いたような顔をした後に、顎の下に拳を当てて考えるような素振りをした。太い眉の間に皺が寄る。何台の車が通り過ぎたのだろうか、目的地である駅にはもう2分程度で着く距離。彼は困ったように笑いながら言う。
「みんなが頑張ってるんだから、俺はもっと頑張らなくちゃ」
「……本当に、ウェールズさんは凄いです」
「ふふ、ありがとう」
彼の照れ笑いの奥には何かが隠されているような気がした。駅に着くと、彼は気をつけてねとだけ言って私を見送る。改札を通ってホームで立ち止まる。意味の無い時刻表を見ればあと五分ほどで電車が来るらしい。
私はウェールズという国が好きだ。
豊かな自然も、歌うような言語も、穏やかな国民性も、なにもかも。まるごとウェールズという国を愛してる。祖父から教わった愛国心、彼に対する無条件の愛はクリスチャンが神に惹かれることと同じだろう。私の中で彼は神様と同じだった。
しかし今日の彼には人間と同じような心を見たような気がした。気の所為かもしれないけれど、穏やかな彼の笑顔の裏にはなにか別の感情があるように思えた。ぐるぐると巡る思考を掠めとるように颯爽と電車がホームに入ってくる。強い風と大きな音に、集中力がプツンと切れた。
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