4話 ページ5
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明くる日も明くる日も、私は始業時間よりもずっと早くオフィスに来ていた。しかし彼よりも早く来たことは無い。彼はここに住み込んでいるのでは無いかと思うほどに、誰よりも早く来て誰よりも遅くまで残っているのだ。
どうにか彼よりも早く来ようと、彼よりも遅くまで残ろうとしてみるけれど、新人の私にそこまで多くの仕事が任される訳では無いので結局いつも私は諦めてしまう。無駄に長くオフィスにいたい訳では無いのだ。ただ彼の役に立ちたくて、より多くの仕事をこなしたくて。そんな2ヶ月だった。
デスク周りの片付けと名目打っていた早朝の出勤も、もう言い訳にならない。私にとってはおとぎ話の住人に近い彼のそばに少しでも長くいたいという下心は、神様に見破られているのかもしれない。その罰なのか、出来上がりかけた書類の最初にミスを見つけてしまい、全修正をかけることになってしまった。
先輩には明日でもいいと言われたけれど、明日にまでこの気分を持ち越したくは無い。その一心で私は気づけば誰も居なくなっていたオフィスで一人パソコンの画面とにらめっこを続けていた。ふと、オフィスの扉が開く音がした。
「あれ、まだいたんだ」
「お、お疲れ様です!」
「あはは、座ったままでいいよぉ」
「すみません、ミスを見つけて、修正がまだ終わってないんです」
彼がコートを着ている姿を見るのは初めてだった。彼はいつも私よりも先にオフィスにいて、私より後に帰るためコートを着るところを見る機会がなかった。彼は私の後ろからパソコンの画面を覗き込む。腰下まである外套からはほんのりタバコの匂いがする。
「嫌な仕事任されちゃったね」
「でも、国のためなら頑張ろうって思います」
「お、模範的国民のAちゃんにはこれをあげよう」
冗談らしく笑いながら、彼はビニール袋からポテトチップスを取り出した。袋の裏側にはおまけのカードシールが付いていて、彼はそれ欲しさに買ったらしい。意外と子供っぽい彼の様子に思わず笑ってしまった。
「ふふ、俺の前で初めて笑ったね」
彼は私の隣のデスクに腰掛けて言う。彼の言葉に驚いて私は彼の目を見つつ、次の言葉を待った。いつも表情が柔らかいせいで垂れ目のように見えていた彼の目は、意外とつり目気味だった。今も柔らかい表情には変わりないけれど、私はそんなことにも気が付かないほど彼をあまり見ていなかったのかしら。
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