3話 ページ4
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「おはようございます!」
「おはよう、今日も早いね」
デスク周りを片付けるために毎日早めに来ること1週間。彼はいつも私よりも早くオフィスに来て、仕事をしている。オフィスの扉が開いた時にアールグレイが香ると彼がいることを感じ取る。
「……ウェールズ様は、いつもアールグレイですね」
「お、わかる?」
「朝はいつも、ウェールズ様のアールグレイの匂いがします」
「ふふ、仕事中はコーヒー派の人が多いからねぇ」
彼は上機嫌にマグカップに入ったアールグレイを飲む。そして走らせていた万年筆を止めて、資料の分別をしていた私を呼ぶ。少し恥ずかしそうに頬をかきながら彼は言った。
「俺に様なんてつけなくていいよ」
「でも、……失礼じゃないですか?」
「俺はみんなと仲良くやって行けたらって思うんだけどなぁ」
少し困ったようにその太い眉を下げて、彼は笑う。私にとって彼は上司であり敬愛する祖国そのものであり、最上の敬称を付けずにはいられない。しかし彼にとってすれば私はただに部下であり、同じ職場で働く者にそこまでの敬意を表されるとやりにくいのだろう。
かといって他の先輩たちのように呼び捨てにするわけにも行かず、なにか折衷案がないか考える。やっとのことで思いついた答えを口にする。
「……ウェールズさん、どうでしょう?」
「俺は呼び捨てでもいいんだけどなぁ」
「ダメです、譲れません」
私にとって彼は最大の相手であり、神と言っても過言では無いのだ。私に彼の話をする時『ウェールズ様』と呼んでいた祖父もきっと、彼に対しては同じことを言われて『ウェールズさん』と呼んでいたのだろう。
「頑固なところ、お祖父さんそっくりだね」
彼はそう言って笑う。彼は今ですら300万人の人口を抱えていて、彼の生きた過去の人々を頭数に入れれば私になんて想像もできないほどの人間たちと出会ったのだろう。そんな中で私の祖父を覚えている、それがどれほど光栄なことか。
祖父がこれを知れば、厳格な祖父のことだから顔には出さないけれどきっと小躍りしたくなるほど嬉しがることだろう。祖父の言っていた慈愛に満ちた聖母のような人、という意味がわかるような気がした。
彼は、彼の生きた中で出会った一人一人を全員、覚えていようとしているのだろう。
幾千、幾万の人々と出会ったであろう彼が、数えればきりのない人々をできる限り覚えていようとしている。たったの数日彼と関わっただけの私でもそんな、わかったようなことを思ってしまった。
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