す ページ30
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「なあ、夢なんだろ?」
伸びてきていた彼の、手が止まる。
「これは夢。そうだろ?
春の一夜の、
本当なら、欲望に身を任せるのなら、今すぐ飛び込んでいってしまいたい。
彼のあの薔薇の香を胸一杯に吸い込みたい。
今は白くなってしまっている、私と同じくらいの長さの髪に手を差し入れて梳きたい。
指を、唇を重ねたい。
狂おしいほどの衝動を力ずくで抑え込み、もう一度声を発した。
「20年、だよな。
遙香がいない寂しさと、月日の懐かしさが魅せた夢だよ。」
なあ?
……またお前を失うなんて、辛すぎる。
切望する声音に、遙一は、手を何処にも触れさせずに引いた。
目を、閉じる。
夢から醒めよう。
これ以上私が私でいられなくなる前に。
「────────愛してるよ、遙一。
永遠に」
何かが、体をヴェールのように取り巻いた後、唇に柔らかく触れた。
瞼を上げると、ただ春風が吹き抜けて。
窓に近づくとその外には、
清麗な春の夜風が桜を散らす、とてつもなく美しい光景があった。
散る花びらのどの一片も月光で余さず照らし出されて、息が止まってしまう程に。
無意識に口ずさんだ歌。
「…………“願わくば”」
花の下にて春死なむ
その如月の望月のころ
百人一首の中の誰かが、それとはまた別に詠んだ唄だった気がする。
こんな美しい景色を最期に見られるなら、本望かもしれない。
何とはなしに下を見ると、白い花が2輪落ちていた。
何処からか飛んできたんだろうな、と深く考えずに拾って、窓を閉ざした。
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作者名:camellia | 作成日時:2021年3月10日 9時