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その後、マツの初陣は策を講じた後 終焉を迎え、毛利家は勝ち鬨をあげた。
そしてこの勝利により、安芸国人「多治比元就」の名は、ようやく世間に知られるようになった。
甥の毛利幸松丸様が、大永3年にわずか9歳で死去された。
分家の人間とはいえ毛利家の直系男子であり、家督継承有力候補でもあったマツが、
志道広良ら重臣達の推挙により、家督を継ぎ、毛利元就と名乗ることになった。
..........そうだ。そうなる筈だったのに。
マツが当主となるにあたって、毛利家内では揉め事が起こった。
マツの継承に不満を持った者が居た。
坂氏、渡辺氏等の有力家臣団の一部だ。
彼等は、マツの弟にあたる元綱様の擁立しかけた。
その件に関しては、毛利家内では事細かに談義された。
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句読点 - あざまっす!が、頑張ります!!w (2016年12月26日 16時) (レス) id: 5463a90292 (このIDを非表示/違反報告)
^ ^ - おもしろいと思います。更新お待ちしています。 (2016年12月25日 23時) (レス) id: 40794b7b49 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:句読点 | 作成日時:2016年8月13日 20時