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『‥‥マッチ男』
漏らした言葉に、男は一瞬嫌そうな表情を見せたが、ポケットから何か取り出したかと思うと、Aの掌に落とした。
「君が言ったんだ。次吸うときはくれ、と」
当然のように言った男から渡されたのは、どこにでもあるようなマッチ箱だった。
『律儀ね。私は今の今まで忘れてたわ』
「俺は煙草を吸う度に思い出してた」
『そう言うの、あんまりモテないですよ』
まあ貴方は顔だけでオールクリアか、とつぶやきながら、握りしめた箱からマッチ棒を取り出して箱にすり付ける。
シュッ‥シュッ‥シュッ‥シュッ‥
Aが火をつけらたのは、4回目に擦ったときだった。案外難しいものだと思いながら、新しい煙草に火をつける。
「煙草を吸う女こそモテない」
『男はギャップに弱いんですよ。それに、今日くらいいいんです』
『今日は‥‥知らなくていいことまで知りすぎちゃったの』
無邪気に笑った女に、男は何も言わなかった。
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互いに無言のまま、真っ白い煙があがっていくだけ。
その最後の瞬きを送り届けたAは、一息ついて立ち上がった。
「行くのか?」
『人を待たせてるので。』
それ以上は何も交わさない。男の前を通りすぎたAだったが、唐突に足を止め踵を返した。
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真正面に立った女を男は見下ろす形で、緊張したようすも動揺の姿も見られない。
『私が今持ってる煙草と、貴方の煙草。交換しません?』
女は数本しか減ってない煙草を差し出した。
「君にはキツすぎるぞ」
『いいの。自分への餞別だから』
男は、手に持っていた火のついた煙草を口にくわえ直し、コートの胸ポケットをさぐった。
女の手にあるそれと、ポケットから出したそれを交換して、改めてポケットに収め直す。
女はそれだけで、満足したようだった。
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『私はこれからマッチを見るたびに、貴方のことじゃなくて、私に見向きもしない男を思い出すんでしょうね』
女の呟きに、男は何故か口角をあげた。
「君はこれからメンソールの強いその煙草を見るたびに、好いていた男ではなくただ火を貸して貸された男のことを思い出す。きっとな」
「それは俺からのはなむけだ」
と、いたずらっぽく言葉を並べる。
それは、月の笑う晩の出来事だった。
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作者名:ハル | 作成日時:2021年9月12日 0時