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「紫音ちゃん……」

 驚いたように戸籍謄本を見つめる婆ちゃん。そして、数分間の沈黙。

 僕は気まずくなり、病院の自動ドアに向けて追われる者のように、真っ直ぐに前を向いたままずんずん足を急がせる。婆ちゃんの呼ぶ声もするが、聞く耳を持たずにやがて大通りに到着する。

 真黒に群れた人波を分けてとにかく走る。

「タカは私の自慢の弟だよ」

 弟?血の繋がりがなければ家族でも何でもない、ただの知人。それ以上でもそれ以下でもない。

「お祖母ちゃんをよろしくね?」

 お祖母ちゃん?僕にはお祖母ちゃんと呼べる相手は始めからいなかった。よろしくなんて言われても困るよ。

 なぜ教えてくれなかった?周りの人間すべてが自分を嘲笑っているかのように感じる。いやでいやで自分も自分以外の人間もぶん殴りたい気持ちがする。

 気がつけば自分の家の前にいた。いつもどおりのぱっとしない住宅地の、ぱっとしない風景がそこに広がっているだけだ。歪んだ枝振りの街路樹は灰色のほこりをかぶり、ガードレールには多くのへこみがつき、錆を浮かべた自転車が何台か道ばたに放置されている。「stop飲酒運転」という警察の標語が壁に無造作に張られ。醜い電柱が、空中に意地悪く電線を張り巡らせていた。世界とは、「悲惨であること」と「喜びが欠如していること」との間のどこかに位置を定め、それぞれの形状を帯びていく小世界の、限りのない集積によって成り立っているのだという事実を知った。

 家出をする、といってもまだ中学一年生。できるわけがないだろう。そんな惨めな気持ちを心の奥底に閉まって対照的に家のドアを開けた。




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作者名:りりぃ x他1人 | 作者ホームページ:http://uranai.nosv.org/u.php/hp/yamasita237/  
作成日時:2022年1月15日 8時

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