総統室のパティシエ【3】

126 ページ26

なんか胸騒ぎがする
夕日が沈み星が出ようかとしている時間、朱すぎる日差しに不吉なものを感じた

大丈夫と自分に言い聞かせて、気分を変えようと外へ出る
脚は自然とひとらんの庭に向かっていた

｢オスマン、今日はもうやることないよ｣

俺が手伝いにやってきたと思ったひとらんはそう声をかけてきた

｢ちゃうねん、ちょっと癒されようと思ってな｣
｢そう。ならゆっくりしてけば｣

胸騒ぎがするなんて言えば、今日に限っては冗談でも笑えない
きっと思い過ごし、気にしすぎ
根拠の無い不安は弱っている証拠だ
心のモヤを晴らしたくて、花に集中しようと試みる

｢なに、そんなにその花好きだっけ？｣
｢ん、いやー、綺麗やなおもて｣
｢今日は特に綺麗に咲いてると思う。そのミヤコワスレ｣
｢えらい切ない名前やなぁ。このなんとも言えん青さが可愛ええわ｣
｢ちょっと赤みがあるのも可愛いでしょ｣

そうやな、と返そうとしたところに強い風が吹く
日が沈み花びらを閉じようと少し遠慮がちになったミヤコワスレは大きく揺れた

そして隣に咲いていた、萎れかけのコスモスは花弁を散らす
ひらりと宙に舞い、地に落ちた



｢…なんか、城門の方騒がしくない？｣

風に乗って届いた喧騒
無言で走りだした俺にひとらんも続く
そして、騒ぎの中心にいたのは

｢ゾム！｣

赤いパーカーで駆けるゾム
こちらを一瞥すると｢ペ神！｣とだけ叫んで医療室へ足を進めた
今の時間、ペ神は訓練所にいるだろう。ひとらんが慌てて呼びに行く

ゾムのパーカーが返り血で赤くなるのはよくあることだ。だが、袖や胴の血は時間をかけて染みたような色。

｢A、ちゃん？｣

よく知った黒の上着に包まれた小さな姿
怖くなるほど白い、血の気のない肌
一瞬見えたそれは、俺の第六感を肯定した



｢お前ら、なにAちゃんの手ぇ汚してくれとんねん…！！！｣

医療室に立ち込める重苦しい空気
ペ神とAちゃんが奥の部屋に入って数時間経つ
遅れて帰ってきたグルッペンとショッピ君、ゾムの口から事の顛末が語られた
誰もが怒りに身を震わせる中、1人、怒りと同じくらいの恐怖に駆られたような目でグルッペンの胸ぐらを掴む大先生

起きてしまった事を防ぐことも、既知を未知にすることも、狂った歯車を全く同じように戻すこともできないのだ。
土に汚れた花弁が、美しかった花に戻ることはないように。

127→←125

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す