【文スト】ふぅん、私に逆らうんだ？【太宰治】

85#悩みと仕事 ページ42

靄がかかっていた。


幾ら手で払い除けても決して晴れることなどない、深い霧のようだ。


…私の記憶を、覆い隠した儘で。



『…意味、わかんないよ』



ポツリと、囁くように小さく言葉を零した。


先刻自分の残した言葉の意味も、太宰が其れに心当たりがあった理由(わけ)も、


何もかもが、わからなかった。


まるでそこだけ記憶が切り取られてしまったんじゃないかと錯覚する。


痛かった。何も分からない現実が。


苦しかった。私が何も分からない事を悟ったであろう、あの時の太宰の表情が。


何か、大事な事だったのかもしれないのに。


少し熱くなった目頭を押さえて、一人、一直線に次の仕事場所に向かう。


海岸沿いの赤煉瓦倉庫。


其処はポートマフィアの縄張りで、私も何度か非合法組織と取引をした事がある場所だ。


中也さんはいつも此処での仕事終わりに、格別だと笑って煙草を吸っていたっけ。


…違う。今私の側にいるのは、いてくれるのは。他でもない太宰だから。


未だに忘れ切ることのできない自分に嫌気がさして。



『あ、彼処だよね。……多分』



視線の先には、積み上がる無数の木箱が並ぶ、倉庫の一つ。


谷崎さんと賢治君とは、互いに別任務を終えた後だから、と現地集合にしてある。


勿論、マフィアをはじめとする非合法組織なんかは白昼堂々違法取引をするわけだから、


万一に備えて最も死角になりやすい場所での待機。


取引中に気を配る事が少ない場所なら私がよく知っている。



「あっ、Aさんこっちです！」



小声で呼ばれた自分の名前に、二時の方角を見れば、


木箱の陰に身を潜める二人の姿。


静かに駆け寄り、谷崎さんはもう一度『細雪』の幻像で上書きして私たちの姿を隠す。


今回私たちが相手にするのは少々難敵だという。


勿論、こんなところで負けるわけにもいかない。


体術だけで間に合わなければ、私の異能も使わなければいけない。



「…っ、話し声を確認。そろそろ準備が必要です。」



社長が難敵と云った相手というのもあり、谷崎さんも少し不安そうな声色なのが分かる。



『了解です。…さ、招宴(パーティー)の時間だね。』



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