4幕 ページ5
「今晩はここでお月さんを見ていたいので」
剣心の好意を有難く思いながらも
志穂はやんわり断った
剣心もそれでは仕方が無いと、小さく息を吐き
くれぐれも気をつけるようにと告げ元来た道を辿った
「ーー…」
かすむ目に映る去っていく剣心の後ろ姿
志穂にはやはり見覚えがあった
あれはまだ自分が太夫あがりをする前、天神だった頃
髪を結う位置は少し違うが
確か、長州の先生方のお座敷に呼ばれた際
部屋の隅に座り、宴の雰囲気に加わらぬ若いお侍がいた
緋村抜刀斎
そう呼ばれていたか
色白で怜悧な感じのする侍だった
見たものは忘れぬ…
花街の妓とはそういうもの。
しかしこんな所で、最恐無比と言われた
人斬りに出くわしてしまったというのに
志穂には不思議と恐怖心はなかった
思えばいつからだろうか、京都で彼の噂を聞くことがなくなったのは
そして彼が、本当にあの人斬り抜刀斎だったとしても
今の彼はきっと違うはず
自分がもう桜木太夫ではないように
どこかで会った気がしてならなかった
彼女の佇まい、一度聞いたら忘れられぬあの声
一度、桂たちの護衛として
連れていかれた島原の揚屋
艶やかな着物を纏い
優雅な仕草で酌をしていた芸妓がいた
千賀鈴天神と呼ばれていたか
その美しさに誰もが現をぬかしていた
座敷にあがる時の様な化粧こそしていないものの、間違いなく彼女はあの天神に違いなかった
確か千賀鈴天神といえばのちの桜木太夫
新撰組副長、土方歳三が最も懇意にしていた娘
そんな土方も明治2年討死したと聞く
華やかな花街とは縁遠い自分ですら知っている伝説の名妓
彼女は京を出たと言った
だとしたらもう桜木太夫ではないのだろう
瞽女としてもとの自分に戻ったのだ
まるで自分と同じように
剣心は先程と同じ所に腰を下ろしながらも、志穂のことが頭から離れなかった
彼女の身が心配なのも勿論あるが
それ以外にも何か別の感情が芽生えたように、今し方の短いやりとりが何度も頭の中で繰り返された
「どうしたものか‥‥」
夜が明けたらもう一度彼女の様子を見に行ってみよう
そう思いながら、剣心は再びの静寂に目を閉じるのだった
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