一途な天才軍師くん (ページ8)

今日:1 hit、昨日:0 hit、合計:4,624 hit

星よりも月よりも黒田くん。ページ8

・

室内を歩く裸足が爪先から冷たくなってくる。二ヶ月前までは靴下なんて履いていても数分で脱いでしまったのに、今は何故かあの時履いていた靴下が恋しい。
着慣れない浴衣と少し緩めの帯。
隣に居るみやびちゃんとは違う、今日の為に新調した石鹸の香りのシャンプーが私の髪の毛から漂った。

「今日は満月でございますね。」
夕食もお風呂も終えた亥の刻始まり頃。
まだ就寝時間には半刻以上時間がある。
満月だと言うみやびちゃんの視線に目を移す。慣れ親しんだ都会の光で包まれる故郷とは打って変わって、ここは月と星で囲まれた正に幻想郷だ。薄い雲に遮られてもわかる。今日の夜は、良く時代劇に出てくる良夜。その一言に尽きる。
「Aさん、お散歩に行ってみては？」
今日の月はいつもと違う感じがすると少し考え込む様に言う彼女の何と可愛らしいこと。
同性の私でさえその横顔に吸い込まれまいと必死だ。魅了するとはまた違う彼女の魅力に吸い込まれる訳にはいかず、私は逃げるように彼女の提案を受け入れたのだ。

旅館の庭に出てしまえばそこには秋が広がっていた。旅館全体が日本庭園になっている為、地元のホテルよりも広くそして美しい。
赤く染まったもみじが月明かりに照らされてより秋を感じさせた。
石で囲まれた池の中では錦鯉が口をパクパクさせながら泳いでいる。餌が水中にある訳でも無いのに、水を口に入れては吐き出すのだ。行先も見えずにもがいている私の様に。
その光景が脳に残って、胸にわだかまりを残した。

「お前も散歩か」
月夜に聞こえる聞き慣れた声。
その正体は姿を見ずとも分かりきったものだ。何度もその声に恋い焦がれ追いかけて来たのだから。耳だけで無く私の細胞までも侵食するその声がなんとも疎ましい。
「今日は星が綺麗なので」
見上げた先にある星は美しいと一言で表すには勿体ないだろう。私がもし夏目漱石だっだらこの星空を何と訳すのだろうか。

「星も綺麗だが月も綺麗だとは思わないか」
月を見ながらそう言った。博識な彼の事だから知っていたのだろう。夏目漱石と同じ言葉を言ってくるだなんて彼は案外ロマンチストなのかもしれない。
置き場の無かった感情も遂に置く事が出来るのかもしれないと、今世紀最大の期待を持つ。何時もより優しい声でなあと再び聞く彼の顔が可愛らしくて、何もかも受け入れたくなったのだ。行先が分かったこの感情に再び何と名前を付けよう。
そんな彼は届いてよかったと口を漏らしたのだ。