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初めて見る寝顔のエーミールさんは名のある芸術家による一つの作品のようだった。眉間のシワは消え、感情豊かな口は緩く結ばれている。驚くほど静かな寝息が無かったら生を感じられないほどその姿は神秘的だった。
元々遅い帰りだったのに加え、ショートスリーパーのエーミールさんは心配になるぐらいの短い睡眠しか取らない。その時間は心に渦巻く黒い感情を昇華するには短すぎて、エーミールさんの起床時間はすぐに迫ってきていた。
空が白んで来て、明るくなった彼の唇から目が離せなくなった。昨日奪われそうになった唇。触れてみたくて仕方なかった唇。誰かに奪われてしまう前に私のそれを重ねられたらどんなに良いか。
はっと気がつくと自分の顔がかなり近づいていて、慌てて背筋を伸ばした。そしてすぐ、今度はエーミールさんの手のひらに目を奪われる。
昨日、彼女の唇が触れたのはどの辺りだろう。親指の腹で手のひらの中心辺りを撫でる。横目でエーミールさんの様子を伺う。大丈夫、まだ起きてない。醜い心に従って、エーミールさんの手のひらに口付けた。唇はダメでも、あの人のキスを上書きするくらいは許して欲しい。そう願いながら。
「もう少し右ですよ」
突然聞こえたエーミールさんの声に全身が跳ねる。
「ひっ、す、すみません！！」
「何故逃げるんです？」
ソファごと後ろに下がる勢いで背もたれに体を押し付けると、体を起こしたエーミールさんが肘掛に手をついて閉じ込められてしまった。次の瞬間にはエーミールさんの手のひらが口元に押し付けられていて、その距離があまりに近くて目が回りそうだった。
「上書きしたいんでしょう？ほら。どうぞ」
じっと合わせられる視線に耐えきれず目を瞑る。すると、明らかに手のひらと違うものが唇に触れて間抜けな声が出た。その隙をついて生暖かい舌が口内を蹂躙する。驚きの声もつい漏れる甘い声も全てエーミールさんに食べられた。
「……もし狙われたのが貴女だったら、危ないところでしたね」
銀の糸をちぎってエーミールさんが薄く笑う。まだ朝日も登りきらない薄明の中、今まで彼がいたベッドに肩を押し付けられる。
奪われる前に。理解なんて追いつかないまま、小さく呟いたエーミールさんの顔がもうすぐそこまで迫っていた。
終わり
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