糸し怪し【文スト】【太宰治】ー耽溺ー (ページ1)

今日:8 hit、昨日:0 hit、合計:13,643 hit

序章　太宰side ページ1

・

目が覚めたら、

「 ……………… 」

知らない人が部屋にいた。

肩で跳ねる水に濡れたような黒髪。

深い湖のように澄んだ瞳。

起きたんだ、と形の良い唇から

安堵したような声が溢れた。

「体、起こせる? 辛くない? 」

身体が鉛のように重い。

まるで自分の身体ではないようだ。

「大丈夫? 」

気遣わしげに、近付いてくる。

その明らかに親しい者を、

まるで愛しい者を見るかのような表情に。

「私と、心中して呉れないかい? 」

そう言ったら。

彼女は驚愕し目を瞬かせて、戸惑うだろうか。

其れとも、

「この命、果てる刻は共に」

声は掠れて上手く出なかったのに、

まるで聞こえたかのように返事をして。

何故、微笑んでいるだろう。

このやり取りが初めてではないような気がして、

私はへらへらとした薄っぺらい笑みを浮かべる。

「処で、此処は私の家だよね? 」

「そうだよ。今は二十三時丁度」

「 ………何月何日の? 」

「明日は__ 」

淀み無く答えたのは

一時間後に迫る明日だという日付。

………ここ数日の記憶がまるで無いことになる。

「丸四日、眠ってたの」

心の内を読んだかのように言葉が続いた。

明日の五日前が、私の覚えている最後の日付。

あの日に何があった。

丸四日眠るような出来事が有ったと云うのなら。

思考に集中しようとすればするほど。

何だか…ふわふわする

酒を飲んだ時のよう。

水に流されているよう。

意識が深い沼に沈んでいく。

眠りに落ちるとはこのことを云うのだろうか。

「皆には起きたよって連絡しておくからね」

みんな…探偵社の事だろうか。

探偵社を知っているんだ、なんてぼんやり思う。

「未だ寝てていよ」

視界が手で覆われる。

だんだんと瞼が重くなる。

未だ、

未だ、

貴女の名前を聞いていないのに

伸ばした左手は遂に彼女を捕らえる事は叶わず。

「おやすみ」

酷く優しいその声が、

穏やかな微睡みに私を誘った。