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顔を綻ばせた彼女の口から私の名を呼ばれた気がして、一瞬の事に息が詰まる。驚きと衝撃で、目を見開かせた私は『どうして名前を?』『もう一度言って』『いま私の事』頭の中で浮かび上がる質問の多さに、どれから尋ねたら良いのか、纏まらない思考回路のせいで、口は魚のようにパクパクと動くだけで息の音しかしない。
口許に笑みを湛えた彼女は、ゆったりとした動きで『ただいま』と、たったの四文字。
その言葉が何を示しているのか理解できないほど私の頭は混乱していなかったようだ。
「…………A、」
声は喉に突っかかり音はひどく情けなくて、鼻の奥がツンとして痛い。漸く、彼女に笑顔を向けられているはずなのに、視界はゆらゆらと滲んで上手く彼女の表情を捉えることが出来なくて、うわ言のようにA、Aと名前を口にする。
__コレがもしも、都合の良い夢だとしたら?
急に不安になって恐る恐るAの頬へと手を伸ばせば、彼女は目を細めて私の手に頬を擦り寄せた。
それは、前世の__私の知る彼女の癖。
"無意識"じゃない、"意図的"に
彼女の発言、行動が意味する答えはたった一つだ。
「思い出したんだね、A」
「……うん。ただいま、傑」
もしかしたら、もう二度と呼ばれることがないと思っていた名前をやっと呼んでくれた。
嬉しくて、彼女が窮屈であろう事も考えずに彼女の首に腕を回して抱き締めれば、耳許でクスクスと笑う声が聞こえて、同じように私の首に腕が回る。
「キミとはきっとすぐに会えると思っていたんだ……でも、何処を探しても足を向けても、キミは居なくて。やっと会えたと思ったら私のことは知らないって言うし……硝子に言われたんだ、私が嫌われるだけのことをしたから記憶が無いんじゃないかって」
本当はあの時、私と一緒に来てくれたのはただの気まぐれだったんじゃないかって、私と一緒に来たことを後悔しているんじゃないかって。危険を察して、どうすることも出来なくて私に着いてきただけなんじゃないかって。
「もしも今日、キミと出掛けてダメなら今後は関わらないつもりだった。これ以上キミに嫌われたくないからね。でも、でもキミは思い出してくれた」
この世界には呪いなんてものは存在しない、キミを縛る物もない。だから今度こそはキミを幸せにしてあげたい。キミに何もしてあげられなかった私が今度はキミに返す番だ。
抱き締めていた腕を離せば、おもむろに顔を上げたAの双眸に再び私の姿が映し出される。
「わた、」
「傑。私とずっと一緒にいてくれる?」
「……嗚呼、勿論喜んで」
先に言うなんて相変わらずズルいじゃないか。
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作者名:愛 | 作者ホームページ:https://marshmallow-qa.com/dear_utsuk?utm_medium=url_text&utm_source=pro...
作成日時:2023年10月4日 16時